4月23日 ジムでヌシと会う

 昨晩は23時に床についたが全く寝られず。結局寝たのがたぶん2時ぐらいになってたと思う。
 夢を見た。どういった夢か忘れてしまったが愉快な夢だったと思う。しかし愉快な夢と言えど連日見るのでやはり眠りが浅くなっているのだろうか。睡眠薬とかちぃとも効いてる感じがしないので、やはりあの主治医はヤブだと思う。
 起きたのは12時だった。今日は妻のお見送りができず。睡眠不足のせいか、夢のせいか気分は悪い。シャワーもあびておらず汚い。ひとまずシャワーを浴びようかと思ったが、どうせシャワー浴びるんならこのままジムに行って汗を流してからシャワー浴びた方が効率いいんではないかと思い始める。シチューをかっこみ寝間着のジャージのまま区営のジムへ行く。歩いて2分。
 ジムではいつものメニュー。最近は週2で行っている。肩と僧帽筋をメインにこなす。ふと、周りに目をやるといつ来てもいるおじさんが筋トレをしている。ほんといつ行っても出会うので、僕はひそかにこのおじさんのことを「ジムの主(ヌシ)」と呼んでいる。ヌシは筋骨隆々で、いつも胸系のトレーニングばかりやっている。いやちょとまて。なんで木曜の真っ昼間からこのヌシはいるんだろう。仕事何やってるんだろう。ニートなのかな……と思いつつヌシの美しい筋肉を眺める。しかしよく考えてみたら向こうも俺を見てそう思ってる可能性大である。「平日の昼間からこの青年はなんだ?」とか思われてる。もしかしたら俺もヌシ呼ばわりされているかもしれん。
 ジムの帰り道、散歩をする。今日は6月上旬ぐらいの気温があったらしい。暖かくて気持ちがいい。筋肉が適度に張っているのもいい。関係ないけど体脂肪測ったら13%だった。メンタルはアレなのに体だけは強靭です。復職した折には「Y平、でかくなったな(物理的に)」と思われたい。
 15時、帰宅。シャワーは結局あびなかった。食器なんやらを洗いつつ、落語を聴く。時ソバ、元犬、薮入り、化け物屋敷なんかを聴いた。柳家喬太郎面白すぎた。円楽は別に面白くない。
 落語を聴いて楽しかったが、楽しいと同時に俺も落語やりてえと思い始める。柳家喬太郎の喋りにあわせて俺も倣って噺してみた。全然できない。レベルが違う。すぐ同じ土俵に立とうとする性格。これが厄介である。俺は演劇でも落語でも、すごい人を見ると俺もこのぐらいやれるはずと思うタチである。んで、実際やれなくて凹むのである。こういう性格も病気を悪化させるアレなんだろうか。といっても、円楽ぐらいならできる気はしている。喬太郎は無理でも円楽ぐらいなら。
 夜は妻と茶太郎と遊んだ。ちょうど茶太郎も生後4ヶ月になるので盛りがついてくることである。茶太郎が俺の足にしがみついて腰をカクカクさせる。すごいイヤだった。小さいチンコが足の指にあたるのがイヤだった。イヤだったけどなんかこう女の子の気持ちが少し分かり面白くもあった。4、5回にわたる執拗な茶太郎ピストンに嫌気がさし、「ああーん、それ以上は駄目え」と嬌声をあげると妻に爆笑された。良い夜である。これでぐっすり寝られれば言う事ないのだが。

4月22日 セカンドオピニオンを希望する

 昨年の9月から軽い鬱症状と診断された。1週間の休養でひとまずは通院しながら復帰した。しかし今年3月中旬に内容も何も無いただただ交通費と労力の無駄な研修に行った際に病状が悪化。その後休職している。
 病状が悪化した日。研修を早退して家に帰っている最中、何度も電車に飛び込みたくなる衝動が起こった。足取りも重く、少し歩いては休憩してを繰り返し、猫背になりながら帰ったのを朧げながら覚えている。帰宅した後、妻に研修を早退した事、休職することを伝えつつ、茶太郎(うさぎ)と遊んだりなんかしていたらしいが、まったく記憶にない。その日の最後の記憶は、東豊線で飛び込んだら楽になるんだろうか、いやいやしかし、自殺すると三途の川のほとりで石を延々と積む事になる、それだけは避けたい、などと点字ブロックを見ながら思っていたこと。あとはほとんど覚えていない。死んだ後のことまで考えているあたり相当キテいたと思われる。後で妻に聞いた話だがその日の僕は目の焦点があっておらず、醸し出す負のオーラがえらい事になっていたと、あたしも多少なりともそれにやられたとのことである。鬱は自分だけでなく周りをもとても不幸にする。イヤあね。
 ともかくも休職して1ヶ月が経った。病状はどうかと言うと、平行線と言った感じである。仕事しようと思えばできるけど、人と喋りたくない。いや、ほんとはすげえ喋りたいんだけどうまく喋れないといったアンバイである。よくなる気がしない。というか良くなるってそもそもどんなだっけ? 良い時の僕ってどんなだっけ? と混乱している状態。
 ひとまず医者からは日記を書いたらいいと言われたので、今日から日記を書きたいと思う。鬱病日記。本日の気分やら、体調やら、やったことをダラダラと記述していこうと思う。
 願わくば、鬱病に悩む人や、周りにいる人などに、鬱病の人がどんなことを考えているかが少しでも伝えられればと思う。


4月22日 セカンドオピニオンを希望する
 昨晩は不安感に苛まれ全く寝られなかった。ウジウジ考えると症状が悪化する事は分かっているので、必死に何も考えないようにしていた。「無感になろう」とずっと考えていた。そうすると幾分か気分は安定したが、ふと、無感になったら何を頼りに生きていったらいいのだろうと不安になった。負のスパイラルである。
 そんな不安感の中で新作の小説の構想を思いついた。ので不安感と小説妄想とをないまぜにしつつタバコ吸い吸い起きていたらいつのまにか午前4時になっていたため慌てて寝た。
 朝は妻が茶太郎に話しかける声で起きた。7時ぐらいか? 変な夢も見ていた。義叔母さんが小学校の教師をしており、僕は生徒となって文化祭の準備をするという内容だった。夢の中の義叔母さんはとても面白く、小粋なトークをして過ごし楽しかった。その夢の内容を妻に話そうとしたが寝ぼけていたためあまり伝わらず。仕事の妻を見送って再び寝た。朝イチは必ず妻を見送ることにしているが、いつもながら少し惨めな気分である。ヒモになったような感覚。ヒモをやれる人は本当に凄い。鋼の精神力だと思う。
 9時頃。本当はずっと寝ていたい気分だったのだが薬を飲むために起きた。朝ご飯をつくるのはおっくうだったため生卵に醤油と一味をかけたのを飲み込む。生卵を飲み込んでいるとロッキーみたいな気分になるのでなんだか良い。起き抜けは夜更かしのおかげで最悪の気分だったが、薬を飲んでシャワーをあびるとすっきりした。
 通院のため外へ。外は抜ける様な青空で暖かい。ますます気分はよくなってくる。しかし少し気が重いことがある。今日は主治医へセカンドオピニオンを申し出るつもりだったからだ。
 初めからあまり主治医が信用出来なかった。僕の診察をしている最中、度々こっくりこっくり寝るし、しゃべりははっきりしないし、何か言っても薬を増やすことしかしない。診察はひどいときは30秒ぐらいで終わる時があった。とにかく人の話を聞いてくれず、常にムスッとして眠そうで、主治医自身が診察受けた方がいいんじゃないかと思っていた。
 病院に着く。主治医はいつもより機嫌が良く、何やら色々話しかけてきた。僕が書いてきた日記を見て「落語好きなの?」などと笑みを浮かべるシーンも。後にも先にも笑顔を見たのはこれが初めてである。なんでセカンドオピニオンしたいって言おうと思ってるときに限ってこうかね。とタイミングの悪さにむしろムカついた。診察の最後に、「セカンドオピニオンをお願いしたいと思っているんですが……」と恐る恐る切り出すと、主治医「えっ!?」と驚嘆。えっ!? じゃないよ。何意外みたいな反応してるんだ。
 先方の病院に医療情報提供書の提出が必要なためその旨を伝えると、不承不承引き受けてくれた。ただ、書類作成に時間が必要ということでまた来週の月曜に来るようにと言われる。めんでえ。病院を変えるだけでも割とめんどくさい。引っ越し、転職、休職、世の中何をするにもめんどくさくなるようできている。そりゃ環境を変えようとしない人もでてくるわな。