ミニ四駆 その① By Y平

 小五と言えばミニ四駆だった。学校が終われば真っ先に家に直行、ランドセルを脱ぐのもそこそこに、ミニ四駆いじりをしていた日々、それが小5。僕と弟はこぞってミニ四駆に興じたものだった。
 当時の小遣い600円、それはミニ四駆一台がやっと変える値段だ。なので最初の一ヶ月目でミニ四駆(500円)、二ヶ月目にレブチューンモーター(315円)、三ヶ月目にボールベアリング(これが高い! 600円)といった具合に、我慢に我慢を重ねてパーツをそろえる日々。それが苦にならなかったのが今となっては驚きだ。この絶妙な小遣いの設定は今となっては両親のファインプレーと考えるべきか。おかげで苦労を知ることができたよ。
 しかし両親の思惑とは裏腹に、僕達は祖母ちゃんという臨時収入を得ることを覚えた。やり方はこうだ。祖母ちゃんの前で少しお金に困った素振りをする。するとすぐにお札が出てくる。やり方も糞もない。今となっては逆に申し訳ない。しかし往々にして子供とはドライで残酷である。感謝してるのかしてないのか、「サンキュー」と儀礼的に言葉を投げるとそのままトイズマーチ(オモチャ屋)へと走る。最低である。しかしまあ子供だ。
 さて、祖母ちゃんから貰った決して安くないお札(新渡戸)を握り締め、ここぞとばかりに思い思いのパーツを揃えた兄弟。工具まで買って、車体の軽量化につとめる。そして考えうる最高のチューンアップをした、つもりだ。
そこで沸々と湧き上がる兄弟の野心。
「そろそろタミヤ(ミニ四駆界のトヨタと思ってよい)の公式大会に出てもいいんじゃないか?」
兄弟は大いに沸いた。折りしもその頃、ミニ四駆熱血漫画「爆走兄弟レッツ&ゴー」という漫画が小学生界隈に大人気で、兄弟で参加と言うシチュは何かかっこ良かった。よっしゃ、名古屋の爆走兄弟の称号はいただく。
 そして応募した夏のジャパンカップ。コロコロコミックの募集要項を舐めるように見、往復はがきに鉛筆で下書き。その上からボールペンでなぞる。その真剣味はさながら大学の願書を書くそれだ。
 ジャパンカップ(おそらく他の大会でも)は全国からの公募で600名が抽選で選出され、参加資格を得るしくみである。僕らは抽選結果を首を長くして待った。その期間中、僕はミニ四駆のメンテナンスを怠らなかったし、とかくメンテナンスを怠りがちな弟を叱りつけたりもした。こういうのは心構えが結果を呼び込む。然るにお前のその怠慢な様はなんだ。ここなぞグリースが固まっておるではないか。たるんどる。それでジャパンカップに出るつもりか。恥を知れい。などととくとくと説いてやったものだ。
 そして待ちに待った抽選発表の日。弟だけがジャパンカップの切符を手にし、僕はミニ四ファイター(コンピュータ)からの「今回はごめんよ☆ しかし君の熱い思いだけは届いたゼ!」みたいな量もノリもペライ手紙が届き、破いて大いに泣いた。
(つづく)
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ミニ四駆 その① By Y平」への1件のフィードバック

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    世代がガチで一緒だったので大変面白かったです。なんかまたやりたくなってきた
    続き楽しみにしてます!!

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