【日記】エッセイ公募書く。あと読書感想文

 今日は公募用のエッセイを一本書いた。800文字。公募用に書いたと言うと少々仰々しく偉そうな感じがするので公募用に作文をしましたと言った方がよいかもしれない。昔から、素人でちょっとウェブにチラ裏日記を書いてるだけで、文章を書いてます(キリッ)とする自分が嫌だったので、これからは作文をしていますと言う事にしよう。文章という単語も使わない。何かプロくさくてそれを生業にしているようなニュアンスに聞こえる。激しくおこがましい。
 そんなことはおいといてエッセイ800文字。これがまた難しい。800文字なんて短すぎる。どう考えても書きたい事の半分も書けない。ハルヒだったら、キョンが北高の坂道を上りながら一人で独白している場面の途中で終わる量だ。まあだからこそ、短く簡潔な文章で書きたい事を凝縮させる必要がある。ライトノベル作家に書かせたら、意外と落選するのかもしれない。
 30分ぐらいで書いてしばらく寝かす。にしても、どう考えてもつまらん。原稿用紙2枚とかいう縛りがどうも小学校の読書感想文という雰囲気を帯びてて、破天荒にできない。やっぱりヘタクソなのね僕は。明日もう一度このプロットで最初から書き直すぐらいのノリで推敲しよう。いや、プロットも変えよう。やっぱり駄目だこれは。「○○なところが僕はすごいと思いました。(まる)」調の駄目な読書感想文と何ら変わらない。書き直しじゃ書き直し。
 そういえば話は変わるが小学校の読書感想文には苦い思い出がある。小学3年生のときだったろうか。国語の時間を2時間ぐらい使って3枚以上の読書感想文を書く課題が出た。みんな口々に嫌そうな声をあげながら、本を持ち寄り感想文にとりかかる。クラスに一人はドラゴンボールとかを持ってきて怒られるのはお約束だ。
 黙々と書いていたのだが、3枚なんて余裕でオーバーした。次々と原稿用紙を取りにいく僕を見ながらクラスメートは「やっぱY平はすげえな」みたいに僕を賞賛する。その頃はチャレメで勉強できるキャラで通っていたから、心底ドヤ顔でいた僕は、さらに書くペースをあげ枚数は9枚にもなった。
 ただ一点、僕も途中で気づいていたのだがこの感想文には難があった。感想がまったくないのだ。感想文なのに感想がないとはいかにと思うが、なんとこの感想文、ただ課題の本を丸写ししていただけだったのである。
 「?」と思う人もいると思うので補足しておくと、当初の僕の目論みとしては、あらすじを抽出して随所で自分の感想を入れていこうと考えていた(今となってはそれは感想文として駄目な典型だと思うのだが)。ところが、アホだった僕に「ここが物語の主軸」という判断ができるはずもなく全部の文章が大事に見える。結果全写しをするしか方法がなかった。児童本とはいえ、9枚で収まるわけはないので、はしょるところははしょっていたと思うのだが、2時間という制約上、写すので精一杯でろくに感想は入れられない。Y平すげえ、9枚目だぜ。なんだってあんなに書く事あるんだよ。と気持ちのいいヒソヒソ声が聴こえる一方で、僕は気づいていた。「あ、これ感想文じゃない」と。
 本を丸写しとか。まるで活版印刷技術のない頃の学生である。途中から方針がまずいと気づいてはいたものの、結局時間がなくて書き直すこともできず、そのまま提出した。僕が9枚も書いたということに周りは騒いでいたが、僕と先生だけがこの感想文がどんな感想文より駄作だということを知っていた。また、丸写し自体も時間がなかったため完璧ではなく、物語のラスト50ページぐらいが「そして色々あったけど、きょうりゅうくんはぶ事に家に帰れました。」で端折られていたため丸写しとしても失格の作文だった。その年の国語の成績がよくなかったのは言うまでもない。
 それを鑑みると、これは駄目だ。書き直そうと思える今はちょっと成長したのかもしれない。あの日の苦い経験を糧に必ずこのエッセイを締め切りまでに完璧にすることを誓う。
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日記を書きたい

 日記をこれから少しでも書こうと決意したので書く。面白いに違いないから書く。もちろん僕は「文章を書きたい! 書かないとやっていられない!」的なスタンスを持っている訳ではないので書いている最中が面白いのではない。あとで見返すと衝撃的に面白いのである。というのも過去の日記の端々を見返すと、確かに僕だった人の人間性がありありと現れている。なんかこう、黒い人間性。居酒屋で「好きな作品は人間失格と罪と罰です、ええ」とか「あれは精神の結晶です」とか物知り顔で披露しては女子を引かせているような内向的な人間性が出ている。精神の結晶、とか(笑)。
 昔、星々の悲しみっていう小説で、それをどや顔で言ってたキャラがいたっけ。面白いのはそいつは学生ではなく、医学部を志す浪人生だった点。なんとなく分かるよね。高校卒業して大学に入りたてか入る前、現実逃避から小難しい海外の小説を読んではそういうこと言ってみたくなるんよね。キリって感じで。本を読んでる僕に向かって何を読んでるの? と可愛い女子が尋ねれば、「アンナカレーニナ」と気怠そうに答える態度。あこがれたわそういうの。で、やってたわ。やってたけど何もなかったわ。そう、何もないのがよい。そこから村上春樹的なラブストーリーが展開されないのがよい。アンナカレーニナを読んでいたって、何が起こるわけでもないんだよ人生。でもきっとこのインテリな僕にはそういった図書館の知的ハプニングから何かが始まるに違いない? っつって夢想する浅はかさ。それがいいよね。そういうおバカさはあの年代の特権か。そもそもアンナカレーニナは名前しか知らない。実を言うと作品名か作家名かすら分からない。しかしアンナカレーニナという言葉のインテリ力。これは使わない手はない。浅はか!
 そんなことを言いたいんじゃない。とにかく日記を読み返すと面白いのである。アンナカレーニナ(キリッ)とか図書館で言っちゃう奴の日記がつまらないわけがない。社会人になってから、自分の日記を読み返すととても面白い。会社があるのに徹夜して自分の日記を読破したこともある。アンネの日記でアンネが自分の膣の話を延々と書く日があるが、それに肩を並べるほど面白かったのである。自分の日記が、ですよ。もう自分の日記でこんなに楽しんでる自分が面白い。過去自分が書いた日記の文章を夢中になって読む26の俺。合わせ技一本! って感じでシュールなのである。
 断っておくと、決してコンテンツそのものが面白いわけじゃない。過去の自分から出るたまらなく黒い臭気が好きなのである。あ、こいつ暗そうだなーっていう感じ。いや、嘘ついたわ。すっげえ面白い。こいつと飲んだらきっと楽しいだろうなーって思う。いや、楽しくはなさそうだわ。楽しくなさそうってのが楽しいわ。あの頃は若い奴の中で一番面白い文章を書くと自負してた。さぞ自分は面白いでしょ? ってドヤ顔でブログとか書いてそうな学生たちを総じてバカにしてたわ。僕は君たちとは違うとか心の中でほくそ笑む過去の自分。高慢。暗い学生生活を送ったのでしょうね。
 というように未来から「あの頃は気持ち悪かった」と振り返る行為そのものが楽しい。アンネの日記なんかより自分の日記が一番楽しい。高慢な意味ではなくて、読み手が自分だからこそ面白い。また、こうやって偉そうな態度で日記を綴り、「過去の勢いのある頃の俺は面白かったなあ」と振り返るのが更に未来からの自分にとっちゃかなり面白いものとなろう。「昔はうちのじいちゃんは偉い軍人さんやったんやで」とかシミジミと語るおばあちゃんの横で、鼻くそほじりながら「ふーん」とテレビを見ている孫。ちょっとませた子供だったら、昔の話をたくさんし出したら老化の始まり、今を生きろよ今を、と偉そうに思ってるかもしれない。ちょっと気取った大学生だったら確実に思うね。まーた始まったってなもんよ。それを今僕がやっちゃってるのがね、楽しいよね。おーい未来の俺ー? 見てるー? 4年前ぐらいだったらこのブログも2000PV/日ぐらいあったんやでー? ほんと面白かったよねー昔の俺。「どっ」(ここで未来の俺、爆笑)。
 つーことで未来の自分に向けてっていう意味で日記を書きたい。決して夕方に森博嗣の日記「MLA」を読んだから「俺も日記書こっ!」と思った訳ではない。断じて違う。森博嗣の小うっとおしい文章の中に憧れを抱いちゃいないんです。ただし僕は熱しやすく冷めやすい人間なのできっと明日は書かないでしょう。どうせ明日書かないなら今日はもういいや。強いて日記的なことを書くとすればそうねえ。今日は半身浴をしながらMLAを読んだわ。森博嗣はあんなに偉そうに日記書いてるけど、あれも森博嗣自身がおじいちゃんになって見返したらさぞ面白いんだろうな。現代の森博嗣の日記を読んで、こいつと飲んだら楽しくなさそうだわい。とか思うんだろうか。思ってほしい。僕も森博嗣も同じ次元の人であって欲しい。分かるだろこの気持ち。
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