大真面目に不登校について言い訳する By Y平

 これは俗に言うアレじゃないかな? いえ、今まで意識しなかったのだけれども、どうもこのところ学校を欠席しすぎている気がする。いや、気のせいじゃない。なんだか今週、というか今月は学校に行った記憶がほとんどなくて……もしや、これは……不登校とかいうヤツでは?
 検証してみよう。何で学校に行かないか? いえね、辛いんです。本当に。っつってもこと不登校時の「辛い」というのは、たいがい悲愴的で、自身の力じゃどうしようもない、凄惨たる圧力がかかって辛いだとか、そういうものだと思うんだけども、どうもそういうのではない。学校が好きか嫌いかと言われればやはり好きだし、家でこもるよりは学校行きたいなって言う意欲はあるんすけども、いかんせん通学したくない。ん? 学校に行きたいのに通学したくないっつったよ俺? これは大いなる矛盾だよ。
 というのも学校が遠すぎる。片道1時間半弱かかる上に、僕が電車に乗る時刻にゃ、申し合わせたように満員電車ときてるから最悪だ。ギュウギュウと駅員さんに満員電車に押し込められ、体とか、カバンとか、教科書とかをブチブチに潰される不快感はいつになっても慣れない。おまけに自転車を15分こぐという有酸素運動もその通学プログラムに含まれているのだからなんたるブートキャンプ。いや、朝の、このクソ寒い中を、自転車ってねえ……あんた、寒いよ。
 とまあこんな風に、「通学が辛い、死にたい、帰りたい」という自慢(そう、これはある種の自慢なのだ)をすると、決まって飛び出す常識人たちからの一喝。「あんたと同じ状況で通学してるヤツなんか、世の中にごまんといらあ!」。いや、確かにそうだ。そこは認めるわ。なんたって世の中にゃ、新幹線通学とかいうのをしてるやつがいるくらいだ。片道1時間半とか、満員電車とか、ケッタが寒いとかそんなことで文句たれるのは可笑しいってもんでがんす。
 しかし、そこは認めようとも、愚痴と文句は言わせて頂きたい。いや、むしろ言ってもいいのである。例え僕の情けない愚痴によって、だれ某が不快になろうとも、関係ないのである。言ってもよいことを言って何が悪い。ではなぜ愚痴ってアクティブ人間達を不快にさせてもよいか?
 といっても、日本は言論の自由が保障されているノダ! とかウラ寒いことを言うのではない。注目すべきは、常識人たちが上で使ったロジックの逆バーションを展開すれば、なまけものの僕にも活路を見出せるという点だ。つまり「僕より通学状況がいいのに学校に行けないやつが世の中にはごまんといる」という線で攻めていく。
 なるほど、こういうやつはいる。メチャメチャ近いところに住んでいるにも関わらず授業に遅刻、欠席する学生。そうだ、こういうやつがいるんだから、僕が授業に出れないのも頷けるんだにょろー。
 とか言うと、大抵の常識人が哀れんだ目で見るがちょっと待ってくれ。あなた方は、さっき、「その気になればY平は学校に行ける。やる気がないのを通学状況のせいにするな」という少し感情的な命題を、以下の論法によって証明した。
Y平より通学状況が悪い学生Aがいる。
Aは通学できている。
ゆえにY平も通学できるはずである。
なるほど、なんとなくあってる気がしますわ。むしろあってると思う。正解。ブラボー。じゃあこれがあってると仮定して、この文に少しだけ細工してみる。まず、以下の通りに特定のワードを抜き出して、括弧にする。
Y平より通学状況が(   )学生Aがいる。
Aは通学できて(   )。
ゆえにY平も通学(   )はずである。
んで、この括弧書きの証明文に以下のように単語を挿入していくとどうなるか。
Y平より通学状況が( 良い )学生Aがいる。
Aは通学できて( いない )。
ゆえにY平も通学( できない )はずである。
さあ、こうなるとどうか。同じようなロジックで攻めているという点で、インテリ(前者)どもの証明を認めると、なまけもの(Y平)の証明もあながち間違っていないような気がするから不思議です。むしろ、なまけものの意見をうまく反証できるものならしてもらいたい。「なんか人間的にダメだろ」とかそういう曖昧な反証は受け付けないけど。
 考えてみると、そもそもこのロジックを適用すると、「片道2時間半かけて会社行ってます。先日、うつ病と診断されました」という壮絶なサラリーマンとかでさえ、愚痴を言ってはいけないということになる。なぜなら、確かにそのサラリーマンはイメージ的には愚痴を言う権利があってもよさそうなものだが、外国の奥地などでは「3時間かけて学校行ってます。徒歩で」という子供がゴロゴロいるからである。
 僕に愚痴を言う権利を断固認めない! というのなら、僕を打ち負かした(ように見える)ロジックによって、そのような悲劇的(に見える)サラリーマンでさえボコボコに論破せねばならない。それが皆が望む公平ってやつではなかろうか。
 さて、ここまで読んだならば、このようなナマケモノの僕に対して嫌悪感を抱き始めた読者も多数いることだろう。でも怒ってはならない。知識人であるあなたは、感情にまかせて安易に怒ってはならない。というのも実は、ここまで読んだあなたは、必ず相対的に幸せになっているはずだからである。
 ここで幸福論を論じる。幸福とは相対的である。
 例えば、僕が。親に庇護を受けまくっていて、衣食住の心配がむこう30年ぐらいはなさそうな僕が。何もせず、ただひたすらテレビゲームをやりつつ無為な日々を過ごしていたとする。そんな僕が、PCを見つめすぎて疲れた目をこすりながら、深夜、一杯の水を飲んだとする。そこで幸福を感じるかと問われたら、答えはNOだ。
 が、うってかわって場面転換。アラビアンな砂漠で飲まず食わずさまよい歩いているあなたがいるとする。四方八方に見えるはワケの分からない蜃気楼、もはや何が見えても一切の希望を抱かない程憔悴しているあなただ。そこへ、なんと。おお、天からのお恵みだろうか!? 200mlミニタイプの水筒がおもむろに砂の中に埋まっているではないか。開けて中身を見ると、水―といってもお湯のように熱い―が入っている。このときに飲む、水の幸福の味といったら、至極のものであるだろう。
 という例を見れば分かるとおり、幸福とは周りの環境によって相対的に決まるものである。環境といっても、モノに限らず、不幸な人がまわりにあふれれば、自分は幸福になる。つまり、こうやって愚痴を言うばかりで確実に不幸になっていく僕を見れば、あなたがたの相対的幸福感はあがっていくのである。幸せになっているあなたが怒る必要は、毛頭ない。
 他人の不幸によって、相対的幸福感があがるのに抵抗がある人がいるかもしれないが、気にしなくていい。むしろ不幸というものが存在しているが故に、幸福という概念があるのだから。不幸があるから、みんな幸せに向かって頑張れるんだ。それって素晴らしいことだと思うんだ。
 なので、幸せを希求する僕は、一生懸命頑張っています。頑張って僕以外の皆が不幸になるよう祈ってる。これも幸せになるための、一つの方法なんだ。誰にも間違ってるだなんて反証させない。え? 人間的にダメ? そんなことは聞きたくないってさっき言ったろ? 聞いてた? 人の話を聞いてないっつーのは人間的にダメだと思うな。そんなハッピーバースデー俺。
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頑張る人 By

 私生活なんすけど、結構ファミコンばっかやってる気がする。結構とかいうとかなり曖昧な話だけども、実はこれは遠慮の混じった表現で、本当は途方もなくファミコンをやってる。具体的な数字……を言うと大多数の人がその怠惰性に嫌悪感をいだくので、より分かりにくい抽象的な副詞でもってそれを表現するのが吉ですわ。なので、とってもすっごく、途方もなく、狂ったように、ファミコンやってます!
 んでファミコンなんすけど、最近はまったのは、1986年にテクモから発売された「ソロモンの鍵」ですわ。全48ステージ(?)のパズルゲーム。激悪な難易度で知られるこのゲームを丸一日半プレイした。勿論、初期のファミコンソフトなので、セーブ機能とかいう便利なもの等ないっす。つまりプレイ時間が丸一日半というのは、本当に丸一日半なのである。言ってること分かるかしら? 「ソロモンの鍵をプレイ」という行為が、生活の中の行為ランキングにおいて、呼吸の次にランクされる稀有な事態。そして、それが許される稀有な環境は一体? どうして僕は今……
 さて色んなものから目をそらしての「ソロモンの鍵」。開始して数時間、物凄く楽しいが、いい加減うんざりしてきた。ずーっと流れている、ダークネスなBGMが欠伸を誘う。しかし、なまじ30ステージほどクリアしてしまっただけに、ここで諦めるのは惜しい。でもやめたい。でも今更やめるのは勿体無い。セーブがないレトロゲームが憎い。
 さあ、憎しみ(なんに対して?)とプライドでもって、すんでのところでねばりに粘って40ステージまで到達した。……うん? おかしい。なぜか夜が明けた。なのに10ステージしか進んでない。ステージを経るごとに、二次関数的にプレイ時間は膨れ上がっていく仕組みらしい。ふうん。これがレトロゲームの真髄という奴だろうか。80年代後半の「こち亀」で、両さんが48時間ぐらいファミコンやってたのがギャグ的に描かれていたが、あれはギャグとかじゃあなくて真実だった。なんてこった。相変わらず僕の耳には、ダークネスだがどこかコミカルなBGMがリピートしている。確実に自身の精神汚染が始まっている。
 そんな地獄の朝にて。42ステージでゲームオーバーになった際、コンティニューしたのに41ステージに戻されたので驚愕した。今まではコンティニューしたら、そのステージからの再開だった。しかし攻略サイトを見ると、42ステージ以後はコンティニューしても41ステージからの再開になるということ。これは中国の拷問か何かか? 今までの40ステージがクリアできたのは、1ステージ数十回というコンティニューがあったからこそのクリアである。1コンティニューで残り約10ステージをクリアするのは、猫がワープロでタイピングして芭蕉の句を詠むがごとくの確率だと思うので断念した。断念……というと一見残念そうな感じがするが、むしろ僕はやめたかったのである。やりたいのにやめたい。似たようなワードを社会のアングラな部分でよく見かけるが、まさか自分に……そんな。
 というわけで、私生活は死んでいる。死んでいるが頑張っている。頑張ってさぼっている。しかしサボるのを頑張るのも決して楽ではないのである。なれば、頑張って何か、他人に認められるようなことをやるのも楽ではないとなると、どっちに進んでも、苦しい、鬱だ鬱だなどと思うのはむしろ道理であり、どんなベクトルにせよ頑張っている間は人は大丈夫なんじゃないかな……と思うのである。
 ということで、頑張った結果、先日めでたく結婚しました。誰とってビアンカと。バラモスも倒した。あと賢者が二人になった。あと、鉄アレイを一度も取ることなくチクワを取れたかな。頑張るってすばらしいよね。ところで、誰かこのベクトル、向き変えてくんない?
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大晦日へべれけコンビニ By Y平

 去年の暮れから、毎日コンビニでバイトしてるので年が明けた気がしない。果たして年越しめいたイベント、もしくは慣習が僕の周りにチラッとでも顔を見せただろうか? 行く年来る年? 紅白? 除夜の鐘? 初詣? おみくじで大吉出た、わぁい? 全ては僕と関係ない次元の空間の物語り。
 まあいいのです。正直今年は暇すぎた。人が休んでるときに働けとはよく偉人が言ってそうな言葉なんすけども、僕は人が働いているときに休んでた。皆がせこせこと頑張っているときに、一人、「週休5日とかマジ天国なんすけど!」とふんぞり返っていた。これでね、「人が休んでるときに、また休んだ」とか僕がバカ口開けて言ったら、社会ってやつあ、多大なる僕びいきしてるってことになりますな。そんなこたあ、社会さん、逆に僕のほうからお断りっすわ。マジ、なめないでいただきたい。年末年始、休みなくバイトとか上等っす。「人が休んでるときに働く」だよ! なあ? それが輝かしい生き方! 輝かしい精神!
 しかしもう少し、多角的な見方をして、果たして週休5日は本当に休息になっていたか考える。僕は本当に平穏に休んでいた……か? ドロドロとした理想の自分との葛藤、将来への圧倒的不安、できるものに対する羨望と嫉妬。これらを抱え込んで休んでいた僕が、真の意味での休息をとっていたかと言うと、疑問なのであります。むしろ限りなく休まってない。精神的な意味では。
 すると導き出される結論としては、休まっていないっつーことは働いてるってこった。僕は一年中働いていたのダッタ! 証明完了! 声を大にして「ムカつく!」「なんで俺だけ!?」とどこかに向かって叫ぶ。
 ということで、ムカついたので去年の30日に生ラジオをやりながら一人で飲みまくってた。したら酷いことになった。いえ、ラジオが酷いのはよいのです。次の日のバイトがひどかった。
 というのも実は、ラジオが終わったのが31日の朝6時。イコール、飲みが終了したのが朝6時。なんだけども、気づけば31日のバイトが朝9時からあるみたいなことが手帳に書いたるじゃない。バイトまであと3時間。これは盲点。さあ、とうの僕の調子はというと、世界がグルグル回っているという按配。
 しかし酔っ払っていた僕はポジティブシンキングだったのであります。「ら~いじょうぶ、らいじょおぶ!」と、昭和の漫画の酔っ払い風に一人ごちると、そのまま布団へとダイビング&気絶。息を吹き返したときにゃ、時計は10時半をまわっているというのだから驚きだ。一時間半の寝坊である。
 これは怒られる。布団からがばっと起き上がると、視界がぐにゃりと曲がっている。寝坊どころじゃない。寝坊かつ泥酔である。でも行かねば。バイト先のコンビニまで走る。バイト先まで、まっすぐ、まっすぐ、まっすぐ。しかしまっすぐ行きたいのに斜めに足が行く。用水路の柵にぶつかって全身がはじけ飛ぶ。絵に書いたような千鳥足。ははあ、ここは3次会会場へとつながる道だったかしら? 否、バイト先へとつながる道。立たない足とは対照的に、おっ立ったのはクビとかいうバッドエンドフラグである。
 半ば這うようにしてコンビニへと飛び込むと、本日、大晦日にわざわざシフトに入ってくださる真面目な女子大生がレジをやってる。
 「いや、ほんと、もうごめん! めっちゃ寝坊した! ごめん!」申し訳ない気持ちを精一杯表しているだろう演技を、自身の全ての表現力でもって体現し、女子大生に誠意を見せる。ホントウニゴメンヨ。するとニコヤカに微笑む女子大生、「珍しいっすねえ。ま、暇だったからいいですよ」誠意は通じる。
 しかしこっからが修羅場である。いかに酔っ払っていることを悟られないかが、肝要なのである。例えるなら、飲酒検問で白線の上を歩かされるドライバーの気持ちに似ている。
「俺、ぜぇんぜん、よってないすよ」
自分ではしっかりした足取りで歩いている、つもりである。しかし警官にはばれる。
 それと同じように僕もすぐにボロがでた。シラフの演技をしながら、レジでうずくまっている僕に客からのお声がかかった。「マイルドセブンくれ」あ、マイルドセブンれすね? 自分酔ってませんよ。よってないすよ。手をマイルドセブンがおさめられている棚に伸ばす。しかしつかめない。マイルドセブンはそこにあるのになぜか掴めない。どうしてもマイルドセブンが手の中に入ってこない。怪訝な顔を浮かべる客と横の女子大生。今度こそ掴んだ。手の中には何もない。はて、いつからここは4次元空間に?
 妙な雰囲気のまま、なんとかマイルドセブンを客の前に放り出すと、レジをカタカタと打ち込む。体が覚えているのか、前後不覚に陥ってもレジが打てているのに少し感動した。……と、途端に湧き上がる嘔吐感。ブツブツとうわごとのように客に「ありがとうございました」を伝えると、脱兎の如くかけだし、事務所を抜け、トイレへと飛び込んだ。
 便器の中に、何かをぶちまけ、よろよろのまま事務所に戻る。店長がいらっしゃる。死んだ。きっと隠しとおせない。さようならバイト生活。これから起こるバッドエンドに身を備えながら、店長にわびの言葉を述べようとする。しかし、店長は僕の顔を見ると、ニコヤカにこう言った。
「いよお! Y平くん! 寝坊ぅう? いやあ~、最近疲れとるだろうからなーと思って、あえて電話せんかったんだわ! 疲れ取れたか? ギャハハハ」
 そう言う店長の両手には、一升瓶と、なみなみ酒が入った湯のみが握られていた。就職を考えた。
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