081104

 朝。Yちゃんの携帯から、「月のワルツ」のアラームが耳障りでもなく、適度な音量で流れてきたので目覚めはばっちり。でも時計を見ると5時半。朝の5時半だ。思わずゲエーとなったが、Yちゃんは早出、僕はYちゃんチからだと学校まで2時間ぐらいかかるので、この時間に起きないと遅刻だ。いや、別にウチの研究室は定時に行かなければいけないという決まりはないんだけど、なんとなく気まずくなるのだ。先生が、ニヤニヤしながら「重役出勤ですか?」などと圧力をかけてくる姿を想像し、仕方なく起きる。
 Yちゃんと一緒に朝ごはん。メニューは、昨日の晩飯の残り。豚のしょうが焼きと、かぼちゃの味噌汁。あと白米。めちゃめちゃうまい。豚肉に、しょうゆと酒と、白ゴマ、おろしにんにく、しょうが少々、塩等々、ちょっとした下ごしらえをするだけで、ここまでうまくなるとは驚かされる。かぼちゃの味噌汁も、特別なものは特に入っていないのに、どの家庭、どの店の味噌汁よりも旨い。なんでも、かぼちゃ嫌いのYちゃんの妹でさえ、この味噌汁だけは旨い旨いと2、3杯たいらげたとか。嫌いなものまでおいしくなるとか……そんなのは、ミスター味っ子や美味しんぼの世界だ。
 昨日の夜に、Yちゃんが作るところをガッチリ観察させていただいたので、いつか真似して作ってみたい。でも、きっと絶対に同じ味にはたどり着けないんだろう。同じ分量で調理しても、決して大将の味にはかなわない、駆け出しラーメン兄ちゃんみたいなノリで。
 Yちゃんは颯爽と6時半に仕事に出かけたが、僕は僕の中の下馬評どおり再び寝てしまい、起きたら9時半ぐらい。グエー、も、だめだ。間に合わない。間に合わないと思うや、一気に学校に行く気が失せ、どうせ遅刻するなら九時五分に行こうが、十二時に行こうが同じだわとゆったりと仕度し、ゆったりとアパートを出た。
 バスに揺られながら、何通りか遅刻した言い訳を考える。が、仮病以外で、正当に三時間以上遅刻する言い訳などあったら何たるブレイクスルーって感じなので途中で考えるのをやめた。もういいわどうでも。
 バスが駅前に着くと、既に昼ごはん時になっていたので、美味いラーメン屋に迷いもなくIN。塩ラーメン、チャーハンセットを頼む。ここのラーメン屋はいい。何がいいって、チャーハンがべらぼうに美味い。ラーメン屋なのに、チャーハンのほうが美味い。パラッパラの米と卵に、細切れにされたにんじんが絶妙な食感を生み出す。「モグモグ」と美味そうな擬音がぴったりなこのチャーハンは、味よりも、食感によって支えられている。チャーハンに大事なのは、フワっとパラパラな食感だ。この店は、その基本を押さえている。押さえすぎている。美味いラーメン屋と言ったが、正確には美味いチャーハン屋であると言っても過言ではない。
 そんなわけで、今現在僕にとって重要なことが、チャーハン>ラーメン>>「重役出勤ですか?」という圧力、になるのはむべなるかなであり、ゆっくりチャーハンを満喫してから店を出た。
 駅前の本屋で、湯元香樹実の「春のオルガン」を購入。これから1時間近くも列車に揺られねばならんので、万全の暇つぶし体勢を整える。
 レールを走る音しか聴こえない、空いた列車の中で、春のオルガンを読む。時折目をあげると、窓越しに田園風景と遠くで青く霞んでいる山が見える。空は一面、青白い雲にうっすらつつまれていて、日のひかりがフンワリとなってる感じ。あったかそう。
 「春のオルガン」は予想以上にいい作品で、なんつーか切なくて泣きそうになった。で、ふと我に返ってみると、23歳の大学生が学校をサボり、児童文学を読んで涙するってかなりヤバくて、ふっとそのまま落ちてしまいそうな気がした。
 留年したとき。毎日頭が痛くなるほど寝て、なのに頭に靄がかかったように眠かったあの生活。あのダークサイドに再び落ちつつあるような。本当にやばいと思った。
 
 そのまま家に帰って小説書きたいという逃げの感情を、なんとか打ち消して学校に行き、先生から「重役出勤ですか?」という、お決まりの戒めを甘んじて受けると、ようやく人間になった気がした。先生の何気ない圧力でも、時として堕落した人を救えるのな。こえーこえー。まともに生きるのは辛いよマジで。休み明けは気をつけなきゃだな。
 さて、測定終えたら家かえって小説書こう。

081101

 日曜月曜とYちゃんとこに泊まってくるので日記はお休み。やー楽しみ。何が楽しみって、Yちゃんチの近くにあるクソ美味いラーメン屋さんに行くのが楽しみだ。ノリ的には、Yちゃん:ラーメン比で表すと5:5ぐらいの感じ。
 こういうことを言うと、彼女とラーメンとを同格にするなんて最低、彼女に冷たくする自分に酔ってるんじゃないわよ! みたいに女子大生あたりが騒ぎ出すかもしれんけど、僕は彼女に冷たくないし、むしろ非常に仲がいいし、ひいてはラーメンがそれほど美味いという解釈をしたほうが、人生楽しいと思うよ。ほんとすごいラーメンなのさ。
 バイトの話。今日はコンビニで11時間近くも働かされ、非常にクサクサした。しかも一人だったので、その精神のすりへり具合は尋常ではなく、イライラした僕は来る客来る客を観察して、文章スケッチを試みまくった。こうっとおしい客達の記録が僕のノートに明確に記され、少しだけ気持ちがスッとした。
 夜までバイトだったので、今日は小説休み。Yちゃんチに行った後、文章スケッチでもやってトレーニング予定。
 寝よう。

081031

 今日は起きたら7時40分になっていたので、朝からピンチ過ぎた。起き抜けに、やべえ! っつて大声出して、歯磨きしたのち、パジャマとして着てたロンTとジャージにマフラーだけ巻いて外に飛び出したら、ムチャクチャ寒い。白い息が出る。まだ10月ぞ? なして……と考えるまもなくケッタに乗り、さみいさみい独り言言いながら全速でこぐ。昨夜あの巨乳にほいほいついて行かなければ、早く寝れて間に合ったかもしれないのにー……! と思うと、憎憎しい気持ちになったけど、今大事なのは7時53分の電車に乗ることであって、そんなことは考えてる暇もない。ただ無心でこいだ。否、寒いとだけ思いながらこいだ。駅着いたら8時5分。余裕の遅刻だ。打ち合わせに遅刻。気まずかった。
 煙草談義。昨日の夜、Yちゃんと電話してたら煙草のことで気まずくなった。看護士であるYちゃんは、僕が煙草を吸い始めたとカミングアウトすると、あの手この手で僕に煙草の百害を説いた。末期肺がん患者が、いかに残酷な死に方をするかみたいなのをトクトクと語り、あげくの果てには将来僕が肺がんになっても世話をしてやんないから、患者の家族が一番大変なんだからね、という看護放棄宣言までなされた。
 ああ、僕にはもったいない良妻になる予感、とか内心シミジミしながらも、僕はそんときも煙草をスパスパ。例の一酸化炭素中毒じみた、もうろうとした頭で「煙草吸うのなんてファッションだよファッション」とかパープリンな中学生みたいな返しをした。したら気まずくなり。今日に至った。
 あんまり気まずいのもヤなので、昼ゴロにメール。「煙草やめるからおこんないでん」とか、クマの絵文字を大量に使ってぶりっ子メール送信。したら許してもらえたので、よかったーと思い、また煙草を吸った。あ。
 正直、煙草とクスリにはまる人種に理解を示せない人生を歩んできた。副流煙を忌み嫌い、嫌煙家を自称して気取り、煙草税あがってワロスという感じの人生だった。それがどうだ。今ではおぼろげながら、その種の人たちの気持ちが分かる。他人には薦めない、けどやめれない。という悲愴感。この悲劇を、煙草吸うY平馬鹿ととらえるか、いい経験してんなー将来肺ガン患者になるだろうけど。と、とらえるか。僕はやはり後者のとらえ方をしたい。
 そういえば、夜。家の門扉の前で煙草を吸ってたら、その光景を父親に目撃された。父親に見られた瞬間、僕は「やべ」っつって、担任に煙草を見つかった高校生みたいな心境になったし、父親は父親で「うそだろーーーー」っつって、わが子がついに不良に、みたいな顔してた。
 でもよく考えたら僕はヤンキー中高生でもなく、23歳だったという事実に気づいて、お互い「あ、別にいいんだった」みたいな感じの顔になり、なんかおかしかった。
 小説の話。今日は原稿用紙3枚分終わらせた。昨日さぼった影響か、勘を取り戻すのに少し時間がかかったが、まあ順調。稚拙さはぬぐえないけど。
 寝るカー。

081030

 恩田陸の「光の帝国」、森絵都の「つきのふね」、さくらももこの「ももこの21世紀日記 vol4」を読み直したり新たに読んだりした。
 光の帝国は、ライトノベルをちょっと重々しいノリで書いたって感じのアレだった。いや、よかったんだけど、どうも僕は何か特殊能力があって……ていう体の小説は脳が「ライトノベル」って勝手に判断しちゃって、正当な評価ができなくなる。その辺は、上遠野浩平にまかせておけばいいんじゃないかな? とかいう偏見がすぐ出る(別に上遠野浩平をバカにしてるわけじゃなく、むしろわりと尊敬してる)。でも、特殊能力をもった常野の人々の、いやに民俗チックな空気はやっぱり恩田さんならではなんだろうな。と思ったり。やはり恩田さんすごし。
 つきのふねはマイルドにスルーして、さくらももこはやはりすごい。くだらない日常を短文を添えて絵日記にした本で、内容が薄く、これでお金を取られるとは……! という感じだったが、たくさん笑わされたので文句も引っ込む。
 さくらももこの書く文は、小学生の日記と大差がない。いや、もちろんある程度、筋が通った文だし、少なくとも、内容は分かるんだけど、根底の部分で小学生の作文属性をはらんでいるように思う。それは、決してけなし言葉じゃない。小学生の日記を一度読んでみれば分かるけど、あの年代が書く文ってものすごくシュールな場合が多いんだよ。僕らの常識の範囲外の着眼点をするのが奴らの日記の特徴で、随所に「そんなこと言っちゃうの!?」とか、「それをわざわざ報告したのはなんで!?」みたいな意味の分からない面白さがある。さくらももこの書く文は、それを洗練して、読みやすくしたような感じを受ける。だからシュールな世界観が出る。
 そういえば、作家が書くエッセイっつーのは、総じてつまらない。女流作家にエッセイを書かせれば、その豊かな感受性で綴る、独特の世界観っつーの? てのを大々的に帯とかにアピールして売りに出されるけども、フタを開けてみれば、なんてこたない日常を、かっこつけて書いただけじゃんボケっつーエッセイになる。それか姉御肌の、いかにもパーな女子大生あたりが崇拝しそうな強い女のエッセイっつーのか。作者の感性を感じるためにそれを読むなら、まあ最適だけども、僕個人はエッセイにそんなものを求めてなくて、んならそいつの小説読んだほうがよっぽど感性を感じられるんじゃね? とか思う。
 男性作家のエッセイなんてのは論外だ。小説はあんなに面白いのに、エッセイはこんなにつまらんか。というパターンが多くがっかりする。お寒いオヤジギャグを延々と聴かされてるような感じ。筒井康隆とかが当てはまるか。筒井さんあんなに面白いのに。小説は。そのギャップがある意味面白いが。あ、でも森博嗣はかろうじて面白い。といっても森博嗣はクソ真面目に書いてるから面白いのかもしれない。大御所の作家ほど、わざと茶化そうとすると大体うんこみたいなことになる。そういった点では、まだブログのほうが面白いこと書く人がいると思う。ホームページだともっと面白い人もいる。
 さくらももこのエッセイだけ今んとこ楽しんで読める。誰か楽しいエッセイ知ってる人、情報お願いします。
 誰も望んじゃいねー、読書レビューが終わったところで研究室の話だけども、サンプルを作成するたびに、雪だるま式にやることが増えるのが大変だ。例えばAというサンプルを作る。Aのサンプルを毎週測定する。次にBというサンプルを作る。毎週AとBの測定を行う。……というように、サンプルが増える度に測定の回数が増えていくので、えらいことになる。心境としては闇金にお金かりちゃったような感じか。今では雪だるまは膨らむに膨らんで、毎週20個ぐらいのサンプルの測定を行わなければならず、笑える。来週は4個ぐらいさらに増える予定だ。アホか。
 測定してまとめるまで、1サンプルにつき30分ぐらいかかる。ので、計算すると……みたいな。しかもそのほとんどが幸か不幸か、単純作業なので、なんつーか空しいのな。いや、クリエイティブなのが10時間続いたらそれはそれで破綻だけど、ルーティンが10時間ってのは精神に来る作業だよ。バイトやといてー。時給200円ぐらいで。あ、来週から12時間になるのか。いつかできなくなるっていう限界点がきそうな……
 そんなこんなで、時間の使い方をちょっと間違えると、研究室から帰れなくなるので、今日は必死だった。明日は打ち合わせがある。わき目もふらずにずっとパソコンに向かい合って、打ち合わせ資料を作る。そのおかげで何とか9時ぐらいに終わりそうな公算がついた。ふー、やれやれと。
 すると、バイト先のコンビニの女の子(巨乳)から、「カステラあげるんで、店まで来てください」とのメール。音速で「やったー10時には行きます」との胸を……いや、旨を返し(この表現はつまんねー男性エッセイストとかが使いそう)、ウキウキ気分。したらまた女の子から返信が来て、「ついでにラストまで入ってくださいね☆」とのこと。は、はめられた……
 というわけで、せっかく打ち合わせ資料を早く作りあげたというのに、帰宅したのはバイトの終わった深夜で、クソ疲れたわ。なので、小説は今日は休み。明日は早朝起きなので、速攻寝た。

081029

 今日は朝九時から、研究室の輪講があった。ので、早起きしようかと思ったら案の定寝坊し、朝から必死だった。着の身着のまま自転車をこぎ、なんとか時間通りの電車に乗る。服装は、着の身着のままっつーことで寝巻き用のジャージ。名古屋駅をジャージで闊歩する僕は、名古屋大工学部の悪いイメージ(もさい、ダサい、かっこ悪い)の火付け役そのもので、こらオシャレな南山生だの椙山のお嬢様に馬鹿にされてもしゃーないわなとか自虐の笑み。朝から。
 とうの輪講はというと、1週間前ぐらいから用意してたというのに、先生から突っ込まれまくりで非常にしんどかった。ホワイトボードに式の導出をその場で書けと指示され、頭が真っ白に。できるわけないと思ったけれども、とりあえず頑張って解くフリだけはしてた。でも、次第に先生のヒントやら、先輩の優しい誘導やらで徐々に頭がクリアーに。なんとか乗り切ったときには、あー、今日はたくさん勉強したなという気になって大満足。
 午後。輪講でさんざ勉強したから今日はもう帰ってもいんじゃね? とか思ったんだけども、相変わらず測定地獄と実験地獄が次々とやってきたわけで、ここで帰ったらいつか死ぬような気がしたので、泣く泣く頑張った。つっても最後のほうは完全に気が抜けて、クリーンルームの中で携帯から官能小説とか読んでた。いや、実験の待ち時間が長くてさ。つい。この一週間だけで、実験中に官能小説の短編を5作読んだのはここだけの話。
 帰宅。既に夜の9時前。なのに、「あー今日は早く帰れたわ」とか素直に思った僕は、きっと家庭を省みないタイプ。
 相変わらず飯がうますぎる。今日はから揚げとサトイモの煮っ転がしだった。空腹で帰ると本当に飯がうまい。最近の僕は、飯のおいしさのためだけに生きてると言っても過言じゃない。
 彼女(以下、Yちゃん)に電話しつつタバコでも吸うべーと思ったけれど、そういえばYちゃん今日夜勤だったなと思い出したので電話は取りやめ。寂しく家の門扉のところに座り込み、タバコをプカプカやった。
 そういえば喫煙3日目にして、ようやく肺にうまく煙が入れられるようになった。煙をストローのように吸い込んだあと、軽く口を開けながら、わずかに深呼吸をする。煙は、気道を通るときに少しだけイガらっぽい熱さを残し、あとは無感覚で肺の中に入っていく。で、なんだ、肺に入れても何か世界が変わるわけでもないのね、とか油断してると、時間差で酸欠に陥り、頭と体がズンと重くなる。
 この感覚が、なんやら遊園地のアトラクションみたいなノリで好きになってきた。そのままちょっと歩くと、体は動くには動くんだけど、筋肉の細かいところに力が入ってなくて、ぶらぶらと手足が浮いてるみたいな感覚に陥る。ちょっとだけ自意識が肉体から離れ、後ろから自分の体を客観視してるような。要するに他人の体を動かしてるような感覚が面白い。
 と同時に大分怖い。これはみんなに起こることなの? 僕が煙を吸いこみすぎとか……吸い方が悪いとか? これ、力の限り肺に吸い込んだら、ほんとに一酸化炭素中毒になりそうなんだけど、誰かアドバイスあったらおねがい。僕が死ぬ前に。
 もし仮に、これがタバコのデフォルトであるのなら、こんなものを吸いながら仕事だのやってる人はどうしてなんだろう? 明らかに能率が落ちると思うんだけど。一酸化炭素中毒になってもうろうとした脳でしかやれない仕事ってのがあるのかしら? 麻薬やりながら小説書くみたいな、昔のフランス作家的な感じ? いつかタバコ吸いながら文章書いてみたらどうなるかっつーのをやってみたいな。
 小説の推敲は、今日はちょっと頑張って原稿用紙3枚分くらい。帰宅9時の割には頑張った。いよいよ物語の佳境に入るので気合を入れねば。……いや、気負うと失敗しそうだ……あーここでタバコが役に立つわけか。酸欠じゃあ気負えないものな。
 寝るカー。