煩悩を払う気ゼロ 【エッセイ】

 大晦日にコンビニにバイト入ってたら、珍しくお坊さんが客としてやってきた。ははあ、やはり大晦日だけあってお坊さんも色々と物入りなんだろうな、おとそとか買い忘れたのかな、とか思ってたら、お坊さん。仏のような穏やかな笑顔でレジに来たと思ったら、どっかりとコンドームとAXEボディースプレーを僕の前に置いてきた。そしてまるでおにぎりか何かを買うように「おねがいします」と落ち着き払った声でおっしゃったので、ああ、こういうときに日ごろの修行の成果が出るのか。まったく動揺が顔に出てないものな。としみじみ思った。否。何か違う。
 大晦日に坊主がセックス。安い薬局ではなく、コンビニで買うほどなのだからよほど火急のコンドームだったのだろう。その日じゃないといけない避妊だったのだろう。
「ワシは鐘を108回ついたあと、さらに女の尻も突いてやらんと気がスマンのジャ!」
てなもんだろうか。
 というかあれは姫始め用なのだろうか、姫納め用なのだろうか。姫納めだと、よっぽど早く鐘をつかないと間に合わないんじゃなかろうか。すると、今年の除夜の鐘は異常に早いペースが刻まれるのかもしれん。
「おかあさーん、なんか今年の鐘、はやくない?」
「フフフ、それはね、お坊さんが早くセックスしたがっているからよ」
「ええ? わかんなーい」
「大人の事情よ。ねえあなた」
とか想像してたら、がぜん年越しが楽しみになるような、そうでもないような。
 でもなんか悔しいので、どうか坊主の相手方が生理になりますようにと祈って僕はそばをすするよ。ズズー。うまい。あーあ、今年最後の日記が坊主によって汚された。ちくしょう。生理になれ。あ、また。ちくしょう。
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オシャレカフェ戦略 【エッセイ】

 先日彼女とオシャレなサンドイッチカフェに行ってきた。ちゃらけたデッカイ皿に、ちょこんと載った前菜が一品、サンドイッチが2きれ。抹茶のジェラード的ななんか冷たいやつがついたランチセット、1600円。ランチだ。1600円だ。1600円て。なんで? 値段だけで、僕のレベルではあまりに敷居が高い店ということが見てとれるだろう。まあでも何事も経験っつーことで行ってきたよ。
 店内は昼なのに蝋燭のランプがゆらゆらとしていた。暖炉とかもしれっと当然のごとく設置されてる。茶色いフローリングは自然にできたかのような家庭的な傷でデフォルメされているし、じゃあ傷傷で汚いかっつったらそうでもなく、ワックス磨きが行き届いた重厚感あふれるツヤが非常に暖かみがあってよい。あと、なんか知らないけど、本棚っぽい収納棚みたいのがゴロゴロ、その一つ一つが粋っていうのか、一言で言えばカントリーマアムみたいな。その、分かるかな。ドイツチックな。で、ベージュの綺麗な壁紙のあちこちに、シックな絵が飾ってあって、さらに、客が使ってないテーブルがあるなーと思ったら、そこにオシャレな小物やら、芸術を表す何かドイツ的なものが置いてあって、これまたたまげた。
 働いてるウェイター達も一々チャラくて、こう、イタリアンな料理人とかがパスタ作るときにする下半身だけのエプロン(X線写真とるときのガーダーみたいなやつ)をして、スッスッと店を歩き回ってる。絶対あいつら家のインテリアに妙に凝るタイプに違いない。部屋にカウンターバーとかを作っちゃうタイプ。
 客層はやっぱりマダムが多い。夫の給料で、1600円を湯水の如く使う彼女らは、おおかた南山や椙山あたりの付属幼稚園のお受験の話でもしてるんだと思う。なんていうかそういうオーラが見えた。
 全体的に、油断すると、「アーデルハイド!」とか声を荒げたロッテンマイヤーさんがツカツカと歩いてきそうな風情だった。間違いなく1600円のランチのうち、1000円ぐらいが内装代に消えてる感じがした。
 まあでも、男女で来るには最高のスポットと言えよう。オシャレだモン。こういうカフェテリアに、意中のあの娘を連れてきて、「ここ、俺の行きつけ」とか渋く決めたら超カッコいいと思う。ちょっとマスターなんかと親しげに話したりなんかしちゃうと、それだけで、非常に「っぽい」感じがすると思う。
 でも、僕ら二人はそういう趣味が一切なく、むしろ家でおでんくん見ながら味噌汁を食らうことに美学を見出しているので、終始「サンドイッチに1600円か……」という気分がぬぐえなかった。いやうまいよ。うまいしオシャレだけどねえ。だからなんなの? っていうかさ。これを500円で食べれたら死ぬほど拍手するんですけどねえ。ぼかあ。
 そんな感じで、ややげんなりしながらお会計をしようとしたら、イタリアンシェフ的なカッコいいマスターが、「お会計、3200万円でーす!」と陽気におっしゃり愕然とした。気品の中にチラリと含ませる遊び心。流行るお店はギャップで攻めてくる。
 悔やまれるのは、僕達2人、まさかこんな魚屋さんみたいな反応が返ってくるとは予想だにしてなかったので、「え、あ、はい……」と大層キョドり、まるでマスターがスベッたみたいな空気になってしまったので、ああすまないな。今度来たときは「はい、3千2百万円っす!」とノリノリで返してやりたいな。と思った次第。そしてここまでが店の戦略だったりする。怖い怖い。でもまた行こう。
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081120

 今日も朝起きたら8時くらいになっていたのでゲンナリだった。朝起きたらという書き方をしたが、本当のところは起きる気がしなかったというところが本音か。そのときは何となく起きたくないなーっつーかんじだったんだけど、振り返ってみると寒かったからかもしれん。寒いと僕は起きない。新たな怠慢の法則を見つけて、なんかガッカリした。
 10時半に登校。うちの研究室の慣習からすれば、咎められない最低ラインの登校時刻である。濃いコーヒーで頭を起こした後、ちゃちゃっと測定。あっという間に昼時どきに。
 みんなで食堂に行き、またしても台湾ラーメンを食べる。最近研究室内で流布してる、北部食堂の台湾ラーメンを食べると痔になる説を証明するためにも、痔になるギリギリまで台湾でいこうと思う。何でこんなことをするのかは自分でも分からない。
 メシ食いながら、兄貴動画の話をする。兄貴動画とは、インターネット界隈で流行っているゲイ動画のことだ。内容はシュワちゃんみたいな筋肉をした男二人が、「パンツレスリング」という競技で競い合うというもの。よく分からない、ふわっとしたルールのもと、二人の男が「フーン! フーン!」言いながらパンツ一兆で組み合う姿は、気持ち悪いを通り越してシュールだ。
 その動画の中で有名な空耳、「あんかけチャーハン」についてみんなでガヤガヤ話し合った。果たして「あんかけチャーハン」と聴こえるパートは、本当のところは何を言っているのか? 皆で情報を交換し、あーだこーだ意見を出す。最終的には「How do you like that, hann?」と言っているのだろうという結論に落ち着いた。「like」の「ke」と「that」の「th」がつづまって「チャー」。そして「hann?」と続くので「チャーハン」。「あんかけ」の部分は「How do you like」の母音音だけをあいまいに抽出し、「ア」、「ウ」。「like」の「ク」と発音する部分を脳が誤解して「かけ」という風になり、「アウ×☆ヵケザーハン?」→「あんかけチャーハン?」となる。発音の仕組みを理解した僕らは、なんだか無性に嬉しくなって「あんかけチャーハンあんかけチャーハン」連呼し、ちょっとしたガチムチ英会話教室が開かれた。大学の食堂で。
 ついでに同じ動画内の、「最近だらしねえなあ」と聴こえる空耳についても調べようということになったが、こちらは答えが出ずに断念。この動画をTOEICで出題したら、990点は限りなく不可能だと思われる。それほどネイティブの、ゲイの、絡み合い時の英語は聴き取りにくい。TOEICのスコア欄のAランクの上に、「ゲイ動画の英語が聴き取れる」というランクを追加して欲しいぐらい。Gランク。
 研究室に戻る。打ち合わせ資料を作らねばならなかったのだが、ヤル気が出ず。頭の中では兄貴が「How do you like that, hann?」と繰り返している。午後二時半になり、B4の先輩が授業から戻ってくる。うちの研究室は、B4用のパソコンが一台しかなく、本当はB4の先輩が帰ってくるまでに資料を作っておかねばならなかったのだが、完成度は10%。やむなく未完成のままパソコンを譲り、先輩が終わるのをヌボーっと待つ。
 午後7時。ようやく先輩の作業が終わったので、パソコンが手元に戻ってくる。しゃあ、やるぞと思った途端、隣でネットサーフィンをしていたD2の先輩が、「『最近だらしねえな』の意味、分かったぞ!」と叫んだので、マジッスか! ということになった。
 その後1時間程、「最近だらしねえなあ」が「Like embarrassing me, hann?」だったという事実に盛り上がり、またしてもガチムチ英会話教室が開かれた。「Like embarrassing……」という一連の流れが、「ライクエンバラシング」→「ライケンバラシング」→「ライキンブァラシン」→「サイキンブァラシン」→「サイキンダラシン」→「最近だらしn」とつながっていくのがポイント。先輩達とともに「最近だらしねえなあ」「最近だらしねえなあ」と大いに盛り上がり、時刻は9時。資料完成度は20%。本当にだらしねえ。
 心を入れ替えて、残りの終電までの時間を全力で資料作成にぶつけた。十時半、完成。本気になれば、一時間半で終わるんだよ。その一時間半をやりはじめるのに、何時間かかるか分からないが。そう、やり始めが、ね。
 11時。大学を出、地下鉄に乗って名古屋駅へ。電車乗る。はあ今日も疲れたわ。したら人身事故が起きたとかで、電車が止まった。腹減った。眠い。何分も止まった電車内に閉じ込められ、客のイライラは募っていく。あちこちでため息や、指や足をいらただしげに鳴らす音が響く。となりの席に座ってたおっさん二人など、とうとうイライラが爆発したらしくケンカを始める始末。相手を殺す勢いで睨みあってるおっさんたちと、笑いをこらえている乗客たちを交互に見ながら、僕はそっとつぶやく。
 「Like embarrassing me, hann? (最近だらしねえなあ)」
おまけ↓

たばこ愛 【チラ裏】

 煙草を吸い始めて一ヶ月くらいになるのだけれど、一日一本という自分ルールは未だ守られており、僕にしては大分自制がきいてるかなという感じがする。
 非喫煙者だったとき。煙草の副流煙が死ぬほどいやだった。周りに煙草の煙が漂ってくると、それだけで別の場所に移動したくなったものだ。というか移動できるときは移動していた。露骨に。
 では煙草を吸うようになってからはどうかというと、別段そのスタンスは変わらなかった。相変わらず副流煙が嫌いだ。つーか吸ってみて思ったのだけど、喫煙者本人が一番副流煙を吸ってる気がする。というか確実に吸ってるだろ。近いし。ものすごく嫌だ。
 そんなわけで、僕は煙草を吸うとき、十分喚起したのち、煙草の風上に自分を置いて吸うよう心がけている。真の喫煙者たるもの、受動煙だろうが、能動煙だろうが構わず吸いこみまくって、肺がんになり、今際の床で「煙草のない人生じゃなくてよかった」と言って雄雄しく死ぬといかにもカッコいい。が、僕のように、極力煙草の先から出る煙を避けていたが、結局肺ガンになって死ぬのは格好が悪すぎる。、そのときは、「フィルターごしの煙しか吸わなかったのに……」という言葉を遺して死んだりすんだろう。もっとも卑屈な喫煙者だと思う。まあどちらも死ぬんだからどっちでもいいっちゃいい。
 そういえば最近、すごい男らしい喫煙者がいた。コンビニのバイト仲間の女の子。ヘビースモーカーである彼女は、タールの軽い煙草じゃまったく吸った気がしない上、朝起きて顔を洗うのと同じくらい煙草が習慣化しているとおっしゃっていた。まあそれだけなら普通のヘビースモーカーなのだが、彼女、「(タールが)6ミリ以下の煙草を吸うときは、フィルターを切ってからじゃないと軽すぎて吸えないっすよー」と可愛らしく笑っていた。僕はそれを聞いたとき、「漢だな」と思わずため息をつき、とても真似できないっつーか真似しちゃいけないっつーか、軽いとか重いとかいう問題じゃないんじゃねっつーか、それって受動煙100%なんじゃないかとかまあ色々思い、最終的には、煙草の良い部分も悪い部分も包み込んじゃうってある意味愛だよなとか思って、副流煙を気にする小さな自分に恥じた僕は、持っていたピアニシモワンをべきべきに折ってゴミ箱に投げ捨てた。これほど愛せる自信はない。人も煙草もね。

キャラ物のグッズ愛もしくは哀 【エッセイ】

 リラックマが好きだ。あの色、あのフォルム。可愛く見せたいとかそういうぶりっ子心を一切感じさせない、自然体で媚びてない雰囲気も好きだ。
 三月に一ヶ月間、東京にインターンシップに行ったときも、リラックマにはお世話になった。勝手の分からない一人暮らし。企業の厳しさと、東京砂漠の人恋しさ。それらがごたまぜになって、欝ではないがなんとなく沈んでいたあの頃。リラックマの「だららん日和」という本を読んで、明日も頑張ろうと癒されたものだ。視覚的にも精神的にも大好き。その愛は、数年来の恋人にも勝るとも劣らない……ええい! 語るとぺらっぽくなるわい。とにかく可愛い。好きだ。理由なんてない。好きに理由があればあるほど、好きは薄っぺらくなる。そうだろう?
 そんな折。バイト先のコンビニで「リラックマフェア」なるものが行われた。リラックマ専用のブースを設けて、可愛いクマグッズを大々的に売り出したのだ。リラックマファンの僕は即座に、ソフビマスコット、カップタオル、キーメット、ストラップ、etc……と全種類のグッズを買い込み、生活のあらゆる場所にクマをちらつかせては顔をふにゃつかせた。幸せだ。こんないいフェアをやるなんて、うちのコンビニもまだまだ捨てたもんじゃないなと思った。
 そう、僕が買ったまではよかった。
 2ヵ月後、大問題が生じた。このリラックマグッズ、待てど暮らせどいっこうに売れないのである。これまでの売り上げは全体のおよそ2割と言ったところか。悲しそうに埃をかぶるのは、売れ残った8割のクマたち。
 これには僕も驚いた。自分が愛するものを、みなも愛してくれるだろうなんていう青臭い思惑など一切なかったが、この仕打ちはクマが可哀相だと思った。なんで!? どうして!? 僕はレジで作業をしながら、クマのほうなんて見向きもしない客に向かって心のシャウトを飛ばしていた。これじゃああんまりだよお客さん。
 リラックマが売れなかったことによる、店の不利益についてはどうでもよかった。そもそもうちのコンビニがどうなろうと知ったこっちゃない。問題は金じゃない。売れ残ったクマたちはどうなるかということ。この一点に尽きる。
 東京近郊にある、瑣末な倉庫街。その一画で、全国各地のコンビニから届いた返品のクマの山を前につぶやく業者。「二束三文で作った商品を、一つ500円で売りつける……わずか1割でも売れりゃあ十分元がとれるってんだから、やめられねえよなあ!?」そういって醜く笑った業者は、下っ端をよびつけ、どやしつける。「後は適当に処分しちまいな!」
 そのままリサイクル業者にひきとられ、熱によってどろどろに溶かされるクマもいれば、粉砕機にかけられてコナゴナにして捨てられるクマもいる。運のいいクマでも、卸売業者にタダ同然の値段でひきとられ、町内会の祭りの的屋だとかに量り売りで売られ、クソみたいに高いクジや、サメ釣りのはずれ景品としてさばかれ、頭の悪いクソガキなどがそれを手に取り、「ママー、こんなんよりプレステ3が欲しい」などと粗末に扱われ、家の畳に打ち捨てられるように転がっては、飼い犬にガジガジにかまれ、くだかれて原型をなくすクマが関の山。僕は悲壮なクマたちの運命を想像するにつけ、発狂しかかる精神を押さえつけもがき、苦しむ。
 クマブースを再度見る。売れ残ったクマの数を数え、値段を計算する。全部売れても一万四千円。憤りで体が震える。たったイチマンヨンセンエン。1クール数万円の利益(?)をあげるためだけに、可哀相なクマをこんなに生み出したと言うのか? 百歩譲って売れたとしても、店に入る利益なんてすずめの涙ほどだ。そう言うと、頭でっかちのSVは、「ちがいます。リラックマは利益をあげるための商品ではなく、あくまで客寄せパンダなのです。利益は、リラックマをふらっと眺めに来たお客が、ついでに買うアンパンなどで回収すればいいのです」なんて言うだろうが、ちゃんちゃら可笑しい。だって客、別に増えてない。リラックマ効果で客なんか集まるか。本当にリラックマが好きな奴はグッズ屋に行くわ。可哀相なリラックマ。SVの机上の空論に振り回され、人柱になったリラックマ。いや、クマなのでクマ柱と呼ぶべきか(か、かわいい……)。
 大量に売れ残ったクマブースの前に立ちながら、僕は考える。せめて目に見えるクマたちだけでも助けてあげたい。たった一万四千円でこんなにも多くのクマを救ってあげれる。これはエゴだろうか。例えば、政情不安な国に赴き、恵まれない子供に医療支援を行う。そんなことをしても焼け石に水、と評論家は笑うかもしれない。何があっても自己責任、と首相は声明を出すかもしれない。これはエゴだろうか。けれど目の前の子供は助けられる、目の前のクマは助けられる。僕の場合は命を賭すわけではない。一万四千円だ。たったそれだけでクマがスクラップになるのを防ぎ、クマ欲のないクソガキが粗末にクマを陵辱するのを防ぎ、そして何より僕の……僕の心は満たされる。これはエゴだろうか。エゴだ……! 所詮エゴだとも……! エゴの何が悪いか! みんな大抵自分のために生きてんだろ? 自分のために仕事をし、自分のためにみんな金を使う! 大切な人に向ける親切心や愛情だってまわりまわって自分のためだ! 自分のために生きるんだ! それが自然だ! みんなそうだろう? だから僕は……
 僕はクマブースのクマを全部取ろうと、手を伸ばした。そのとき。一緒にバイトに入っていた女子高生(巨乳)が、そんな風に狂った目をした僕を見て、大いに笑った。「またやってるんスか!」。前のめりになってカラカラと笑い、背中に長く艶っぽい黒髪をしゅるしゅるはねさせる女子高生(巨乳)を見ながら、クマ全部買ってやるから乳もましてくれと切に願った。あと、頭の片隅で考えることといったら、クマのかわりに乳ってのは売春にあたるんだべかーとかそういうこと。クマのためでも誰のためでもなく、いつだって僕は自分のために金を使うし自分のために生きていくんだ。みんなそうだろう?