木製の椅子を溶かすたった一つの方法

だいたいムカついてるんですよ。ブログってもっとアレじゃない!? 気楽なものじゃなかった!? 便所の落書きみたいなさ。なんか最近価値つけようとしてない? 少しでも世の中の人にためになる情報を、ひいては世界をちょっとだけ良い方向に変えるんだ! みたいな肩肘張ったやつをさ! アフィリエイトだか情報商材をチラつかせながら、やれ地方はいいとか起業が云々とかさ! そういうの死ねよ! マジで死ねよ! 面白くないからどっか行っていいよ! みんなブログで情報収集しないから! 少なくとも俺はしないから! 意識高い系の君たちがあげてくる起業ノウハウやビジネス理論とか糞食らえだから。本買うから。紀伊国屋行って立ち読みして探すから! 帰っていいから。いや、じゃあ僕のブログは面白いかと言われれば別に面白くないよー! でも無価値だという点で君たちのブログと同じだねーうんここ☆
昨今のブログブームがあまりに金、金してる上、しかもそういう金、金してるやつに限って「ブログで稼いで何が悪いんですか? だって僕/私はこんなにコンテンツを提供してるんですよ」ってドヤ顔で言って、じゃあどういうコンテンツを提供しているかというと、漫画雑誌のレビューだとか、ひどい時は今日食べたご飯とかそんなもんゴミクズですやーん! それに金出してるの馬鹿しかいないじゃーん。馬鹿が金を誰かに払ってる様ってどう考えても不快じゃーん。
だから意趣返しとして、俺もゴミクズみたいなブログを発信してやります。反響があれば有料化しますのでお早めに読んでおくことをお勧めしますよー!(ゲペペー)
(ここからは有料記事となります糞食らえ)


「ザーメンで木製の椅子を溶かすたった一つの方法」
またまた中学の話だ。野球部の皆で会話している際に、
「どのようなやり方が良いか」
という話になった。当然のごとく効率的なノックの方法でも、栄養の摂り方でもなく、どのようなオナニーが最高かという話だ。めいめい車座になって自分のオナニーのハウツーを語り合った。床にこすりつけて行ういわゆる床ニーがあれば、オーソドックスなタイプの手コキ型のオナニー、少年の数だけオナニーのHOWがあった。そこには孔子式の答えが一つの教育ではなく、アメリカ式のみんなが答えを持っている的なオープンな空気が流れていた。どんなオナニーがあっても少年たちはお互いを尊重し、敬意を払って聞いていた。
そこにひときわ異彩を放つ回答をした者がいた。
「俺、椅子でするよ」
皆が「椅子!?」と振り向いた。皆の視線の先には彼がいた。
「椅子って、お前。どうやって?」
K君に顔射されそうになったキャプテンが血相を変える。彼は股に自分の右腕を挟んで
「椅子の脚があるじゃん。あれを股に挟んで登り棒でしこるときの要領でやるんよ」
登り棒でしこるという明確なイメージに、聞いていたメンバーは「あー」と合点がいった様子。これは女性にはわかるまいが男性には明白な表現である。「しかし椅子って」、「想像もつかない」などとメンバーがざわついている中、キャプテンが言った。
「なあ、今度見せてよ」
それにしてもこのキャプテンは人のオナニーを見過ぎなのであるが、兎にも角にもキャプテンが彼のうちにやってきた。母親が愛想よく麦茶などを出し、世間話に興じる。キャプテンはこんなキチガイなのになぜか彼の母親からの信頼が厚く、今日も野球についての真剣な議論がなされるのであろうと思っている。母親が去った後、おもむろに彼の学習机の椅子を見てキャプテンが口を開く。
「これか?」
キュルキュルキュルと音を立てながら、木製の学習椅子(スーパーマリオのキャラクターシールが付いている)を彼の眼の前に持ってくるキャプテン。
「で、どんな風にやるのよ」
彼は一旦そんきょの姿勢になると、そのまま椅子の脚の一つににじり寄り、キュッと股に脚を挟み込み上下に擦らせた。
「こんな感じ」
「え、そしたらズボン履いたままやるの?」
「いやズボンは脱ぐよ。脱いでこする」
「精子はどうするの?」
「そのままぶちまける」
青白くなったキャプテンが、バッとオナニーする脚(略してオナ脚)に目をやると、そこにはザーメンで腐食したオナ脚があった。木材を止めるネジは赤黒く完全に錆びつき、木が腐食して黒くブヨブヨに凹んでいる。
ぎゃあっと歓声とも嬌声とも言えない声が響き、誰彼ともなく椅子コールが始まった。
「イース! イース! イース! イース!」
その歓声の真っ只中に彼、いや、俺がいた。
まあなんというか、言い訳させてもらうと、オナニーに関しては早熟だった僕が編み出したのがこのオナニー方法で、小さい頃はズボンを履いたままやれるってんでお手軽だったのです。しかし、小4ぐらいかな? アレが出始めまして、そん時はオシッコかなあ、なんて思いながらやってたんですけど、まあそのうち気持ち悪くなってきて、パンツを脱いで直接こするやり方に変えていたわけです。んでそのままブチまけてティッシュで拭くという極めて合理的なやり方を堅守してたんですが、そこは人間の神秘。アルカリ性だか酸性のザー汁が椅子をじわじわと数年かけて侵食していて、中2の頃にはこうしててんやわんやの大騒ぎ。しばらく学校で「椅子」ってあだ名がつきましたからね。
そんでこう、久々に実家に帰った時にあの時の椅子がまだ置いてあるんですが、学習机の椅子ってすげえのな。一本、足が完全に腐ってるのに20年経った今でもまだ機能してて、懐かしさとともに感心する思いですね。


さて☆ どうだったでしょうか? 使わない7つの習慣並みに役立たない記事でしたが、これからも宜しくお願いします!! 

カピカピハンドボール

地球上でもっとも汚い生物。それはなんだと思いますか。
持論だけれど確実に中学生男子が一番汚い。大人と子供の中間点でホルモンバランスの崩れている彼らは、やれニキビの汁は壁になすりつけるは、部活で汗臭い上に学ランはめったに洗わない。あげくのはてに性欲旺盛でいやらしい体液をあちこちに飛散させる始末。これは僕の偏見ではなく一般的な認識だと思う。筒井康隆の小説「家族八景」においても、年頃の男子についてこのような描写がある。

次男のベッドが特にひどく、マットレスの下には男性週刊誌から切り取ったらしい数十枚のカラー・ヌード写真と、あきらかに体液をそれで拭ったらしく、糊づけしたように固くなった下着がくしゃくしゃに丸めてつっこんであった。

「家族八景」 澱の呪縛より
筒井康隆お得意の気持ち悪い描写によって、見事、年頃の男の醜悪な部分を体現した描写となっている。
そう、僕たちはそんな汚い汚い中学生だった。
野球部だった僕たちは中学生の中でもとりわけ汚物カーストでは上位にいただろう。汗と泥にまみれ、土臭いデイバックに臭い靴下をこんもり詰め込んで。そして始末の悪いことに下品だった。
話す言葉には常におっぱいやらオナニーやらの下劣ワードが含まれていたし、常にイカ臭かった。
そんな僕たち野球部。ある日こんな話になった。
「誰が一番飛ぶか?」
この飛ぶと言うのはバッティングの飛距離だとか、肩の強さとかではなく、当然のごとくザーメンがどのくらい飛ぶかという話だった。精力旺盛であることはある種その男の強さだと疑わなかった僕たちは、いかに強烈な放出ができるかに心奪われていた。そしてキャプテンが言った。
「Aがすごかった。俺、この前顔にかかりそうになったもん」
同じ野球部のA君の事だった。何でA君がキャプテンの前でオナニーしていたのかということは、この際問題ではない。俺たちの論点はそこではなかった。人の顔にかからんばかりの勢いのザーメン。純粋にそれを見てみたい。僕たちの目は輝いていた。そこでA君を招いて本当にそのぐらい飛ぶのか試すこととなった。
キャプテンが持ってきたエロ本をおかずにA君はおっぱじめた。端から見ればイジメの現場のようだが、A君は嬉々としていた。チンチンを見せあうことを僕たちは何も思っていなかったし、何ならA君は新しいエロ本に嬉しそうですらあった。そしてなぜか野球部の部室ではなくハンドボール部の部室でそのような狂事は執り行われていた。
A君のデカチンに目を奪われながら、僕たちは静かに見守った。暗いハンドボール部室の中はA君の小さな吐息だけが響いていた。そしてついにその時は来た。
「うっ」
A君のA君から大量のA君が放出された。うわあああっとみんなが叫び、逃げた。マップ兵器のメガ粒子砲みたいなありえない量のザーメンはそのまま中空を舞い、そしてハンドボールの山にぶちまけられた。
皆がザーメンまみれになったハンドボールを凝視し、これは大変なことになったと少々顔を青ざめさせていたところで、A君があっけらかんと言う。
「飛びすぎてまったわ」
A君はすごかった。誰かがA君にティッシュを差し出し、すっきりとした顔で悪びれずA君は出て行った。そして部活の時間が始まった。
カキーン!
白球が上空に舞っていた。僕たちはそういうオモチャのようにボールを追いかけ、汗と泥にまみれて一球にかけていた。
そしてふと、誰彼となくハンドボール部を見つめていた。ハンド部の皆はハンドボールを片手で鷲掴みにし、シュートの練習をしていた。キーパーがそれを一生懸命防ぐ。時々顔に当たったりして痛そうだ。おそらく今日のハンドボールは滑り止めがあまりいらないだろうな。と野球部の誰もが、口には出さないがそう思っていた。
「バッチコーイ!! シャーコイコラー!!」
A君の声が響き、白球が放物線を描いた。僕たちはA君のザーメンを思い出していた。

「いやー、この前バリウム飲んじゃってさ」←中年乙www

とかく歳を取ってくると健康の話が多くなってくる。喫煙所、飲みの席、あらゆる場面で中年のオヤジが一席ぶつ「いやあ、この前バリウム飲んじゃってさ。きつかったよー。ゲップを我慢するとか無理でしょーwww」さも愉快そうにオヤジが喋る(余談だがこの手の話をするのは決まって男である)。なにか異物が胃袋に侵入してくる気持ち悪さ、口のはしから汚らしく垂れる白いバリウム。その苦行を共有の肴としてタバコが、あるいは酒の席が、盛り上がるのである。
というような一連のバリウムの下りが嫌いだった。おっさんが「バリウム飲んでさ〜」とか言おうものなら「中年乙でありますwww 乙でありますwww」とか心の中でバカにしてた。したらあんた、今日人間ドックあったのよ。あれ? 人間ドックって中年が口にするワードベスト3ぐらいのやつじゃね? って思ってたら30歳の節目だから人間ドックだって。あらあ、30とか、マジですか。俺が30ですか、嘘じゃないですか?
確かに30であることを問診票の生年月日から確認しつつ、健診項目見たら「バリウム検査」という文字。冒頭に言ったようにバリウムは俺の中の中年の象徴だった。それが今、眼前に。嘘でしょー。
んで俺、中年の象徴飲んだよ。げーっぷ。何コレ。バリウムの前に飲むヤツ。発泡剤っていうんですか。胃袋の中でシュワシュワってなる。味のない薬まみれのアメリカのコーラーみたいな。これをゲップなしで飲めって、ば、ばっか、無理だろ。ケップ。え? 今のゲップはオッケー? 有無を言わさず検査台の上で寝そべるおれを上下左右にまわす検査員。師走の忙しい時期の健康診断。そこに飲み直しの選択肢はなかった。ちょっとぐらい出ても良いんじゃない? そう思いつつバリウムを口に含んで飲み下す。お? なんかおいしい。飲むヨーグルトみたいだよ。やっぱり中年は大げさに言っていたに違いない。検査員はバリウムを含んだ袋のようになった俺を検査台の上で一通り転がし、俺、ようやく介抱された。ゲップもし放題。ケポ、ケポ。
そんで会社に行くと俺は寡黙に席につき、とはならずやはりご多分に漏れず先輩に「バリウム飲みましてね」とニヤニヤ顔で報告。水分をとらないと腸で固まってやばいよーなどとわいわいきゃっきゃ。ごめん中年。いやおれも中年だから俺も含めた中年ごめん。言うわ。バリウム飲んだら言うわ。人に。その気持ち分かったわ。大人の階段のーぼる。20でお酒、タバコをやり、30でバリウムを飲む。こうして人はコミュニケーションの幅を広げていく。偏見持ってました。偏見持ってました。すまんかったです。
そして先輩の言う通り、バリウム様は見事に腸でかたまり、腸がまがるところでいちいちグリリグリリと痛み、なんだこれ。やっぱ中年の言う事には耳を傾けねばだわ。カチカチのバリウムを腸でつまらせながらウンウン唸る。そんな俺を見て「中年乙でございますwww 乙でございますwww」と煽る若者よ。すぐくるからなバリウム。あっという間だからな30。お前らもやがては歳をとり、第2第3のバリウマーになって言うんだよ。「いやあ、バリウムを飲みましてねえ」なんて。たばこをふかしながら、酒を飲みながら、女を抱きながら。

たばこが俺で、俺がたばこで

死んだ目でタバコを吸う人たち
 タバコが大嫌いである。巻き紙の燃える匂いはけむたくて、服にも不健康な臭気が付着してまるで悪臭の鎧を着ているかの様な心持ちがしてはなはだ不快である。
 何より、タバコを吸った後の自分の吐く息。アンモニア臭というか生ゴミというか。あの臭いのせいで俺は妻にキスする事すらためらう。愛する妻を存分に愛でられない苦しみ。タバコの鎧のせいで近づくのも嫌がられそうで怖い。夫婦関係は冷えきっていく。
 ではなぜ今俺はタバコを吸っているのか。俺がタバコだからだ。
 初めてタバコを吸ったのは中学のときだった。野球部の後輩に指折りの悪いのがいて、「Y平もどう?」と勧めてきたのだ。
 「てめー! その口の聞き方はなんだ!!」と怒鳴りたかった。後輩のくせにあだ名で呼んでくる無礼な態度に腹を立てた。でも相手は後輩とは言え不良。チキンな俺は、「ああ、それじゃあ一本くれるかな?」なんてスラムダンクで言えば木暮のような優しい笑みを浮かべながら一本もらった。
 マルボロだった。「吸いながら火をつけるんだよ」とこれまた先輩に向かってため口。完全になめられている。が、しかしこの一本を吸う事に意味がある。マジメでつまんねー先輩だと思ってたY平が、後輩の悪い誘いにも応じてくれる包容力のあるY平にステップアップ。一生ついて行きます! 的展開にならんとも限らん。なので吸った。
 灰の味がした。「げほっげほっげほ!!」と激しく咳き込む。なんだこれは。嗜好品っていうレベルじゃねーぞ。ひとしきり胸をたたきながらゲホゲホやっていると、後輩がにやけがおで言った。「まだ早かったっすかね?」
 ぶん殴りたかった。あと背が20センチ高くて、筋肉ムキムキだったとしたら。
 二度目の挑戦は大学生の頃だった。その頃僕はコンビニのバイトリーダー(笑)をやっていた。一緒にバイトに入った女子高生と休憩室で雑談をしていたときだ。女はおもむろにクールブーストを取り出すと、プカプカやり始めた。女子高生が馴れた手つきでタバコを吸い始めたのには内心ぎょっとした。場末のスナックで足を組みながらスパーッとやるママのように女は煙を吐き出した。
 思い返してみればその様はタバコを楽しむといったよりは、タバコを吸っている自分を楽しんでいるようだった。かっこつけだ。女子高生は俺に挑発めいた目を向けている。「何? 未成年がタバコ吸ったぐらいで騒ぐの?」と言った風情。こいつはかつてのガチヤンキー後輩とは違う。比較的善良でか弱い女子高生、でもちょっとレールから外れてみたい。いわばニワカである。ふかしタバコでもあった。ちょろい。かのようなものに何も言えないのであればそれは俺の敗北である。
 「一本ちょうだい」
 精神的敗北感を覚えながら、俺はクールブーストに火をつけた。肺まで一気に煙を吸い込む。目の前がやや黄色黒くなる。ヤニクラだ。しかし咳き込まなかった。それにメンソールだからか灰っぽくないのもよかった。俺は上機嫌で女子高生とタバコを吸いながら、「今日のピザまん余るといいねえ。持ち帰るから」だなんて他愛のない話をしていた。
 それから自分で買ってタバコを吸い始めた。本数は1日3本と決まっていた。何かの小説の中で主人公がそう決めていたからだ。いかにもファッション的でいい。友達と喋ってるときに、「あ、おれちょっとタバコ」といって席を立つのも誇らしかった。そう、あの時の俺はまだタバコではなかった。
 社会人になって数年経った。社会人とは不思議なもので、タバコを吸いに席を立っても特に文句は言われなかった。それどころか先輩など「休憩する」とか言って堂々とタバコを吸いに行った。タバコなら休憩してもいいんだと思った。
 そして今。俺は何をするにもタバコが手放せなくなった。メール1本打ったらタバコ、10行コーディングしたらタバコ、電話をとったらタバコ、皿洗いをしたらタバコ、金魚にエサをやったらタバコ、風呂掃除をしたらタバコ、起きたらタバコ、寝る前にタバコ、寝付きがよくないとタバコ、タバコタバコタバコ。
 そうして俺はタバコになった。もはや俺の本体はタバコである。タバコが俺を生かそうとしてくる。もしあなたが俺が吸ってるタバコをとりあげて踏みつぶしたとしたら俺は一時的に死ぬだろう。しかし我が家に戻ればカートンの山。俺が死のうと第二、第三のタバコ(俺)があなたを不快な煙地獄にひきずりこむ。その中心、もやもやとタバコのもやで包まれた中心で。ホームレスみたいなタバコ臭を放ちながら俺は叫ぶ。タバコを口にくわえながら叫んでいる。「俺(タバコ)を殺してくれ!」

piles of flashback ~Kさんのパンチラ~

「恥の多い生涯を送って来ました」
 太宰治の「人間失格」。第一の手記は上記の一節から始まる。普通に生活していれば一度は耳にした言葉であろう。思えば作中の葉蔵が自身をいつわり、青年期に悩み、脳病院に送られるまでに多くの恥を犯してきたのと同様に太宰もまた多くの恥を食い、玉川に入水するにいたったのではあるまいか。
 しかし人は誰しも恥だらけの人生を送っていると僕は思う。恥は時折、シャワーやトイレ、入浴といった無心になった隙間にひょっこりと顔を出す。そのたびに「ああああああー」と声なき声を発し、過ぎてしまった恥はあたかもフラッシュバックのように人を苛んでくる。今回はこうしたフラッシュバックの積み重ねを、独白することによって幾分か軽減しようとする試みである。


 春の風が強くなってきた。町中では吹きすさぶ風によってスカートをたなびかせ、白いパンツをちらちらと申し訳程度にちらつかせる光景が増えてきた。
 パンチラ。世の男子は可愛い女性のパンチラを拝んでは、学校の放課後、あるいは安居酒屋の肴として「今日可愛い子のパンチラを見てよう。ラッキーだったね。春の風ときたら花粉を飛ばすだけのはた迷惑なものとばかり思っていたが、存外、悪くないものだな。ははは」などと助平顔を隠す事もなくやいのやいのやっている。
 あるいは、幸運なパンチラを御開帳いただいたものの、その御開帳ヌシの顔面があまり良くないと、男子達は「今日は悪いの食らっちまってねえ。一杯口直しをしたいものだ」などと安キャバクラに赴く。質が良かろうと悪かろうと、一応はよいコミュニケーションの話題として一役買う。パンチラとはそのようなものである。
 僕の脳裏にも中学校時代に見たパンチラが時折よぎる。御開帳主はKさんである。Kさんはテニス部、推定Dカップ。その豊満な体幹を軸に繰り出される強烈なストロークは健康的だけどエロいという相反する性質がある。若干パーマがかった黒髪は健康的に日に焼けたKさんの端正な顔にはり付き、動くたびにぱあっと汗をはじき、なびく。と同時にキュロットスカートから見えるのはVラインの黒い影。これこそパンチラ。そもこういう場合は女子はいわゆる見せパンを履いているのが普通だが、どだい中学生の僕には見せパンだろうがブルマーだろうが等しくエロかった。少なくとも中学男子にとってそれはパンツだったのである。それで顔も可愛いとなればピンフタンヤオドラ4、倍満的な。もう無敵。色々そろいすぎてる。Kさんはそう言った意味で中学校のマドンナ的存在であった。
 そのマドンナのパンチラをいまだに思い出す。
「うわああああああ」
 僕はKさんのパンチラを思い出すたびに叫ぶ。興奮して叫ぶのか。否、胸中に浮かぶのは仄暗い罪悪である。
 話は中学2年生の朝礼までさかのぼる。僕の中学の朝礼は体育館で行われていた。校長だか誰だかが退屈なスピイチを披露している。中学生達はその血にも肉にもならないどうでもいい話を馬耳東風、馬の耳に念仏。そういったテイストでただ黙り体育座りをしていた。体育座りなので尻が冷たい。何か面白いことはないか知らんってことで、周囲をキョロキョロしたり、前後でつっつきあったりなど各々がヒマをつぶしていた。
 僕もご多分にもれず退屈だった。なにかないかと思い、ふと後ろを見た。そこにはKさんがちょこんと体育座りをしていた。おお、やっぱりKさん可愛いなあなんて思いながら頬にできたニキビをプチュリとつぶす。ねばねばと指先についた白いニキビのしんを学生服のズボンになすりつけつつ、Kさんをちらちら見ては目の保養としていた。
 そのときである。嗚呼、スカートで体育座りを命じた教員の愚かしさを呪わずにはいられない。Kさんが思いっきりパンチラをしていたのである。しかもいつものテニス部で見せるあの見せパンではない、いわゆる純白の(そう、それは視覚的な意味でも文学的な意味でも純白でした)パンティーをはいていた。純白のパンティー。こんなにいい響きがあろうか。それこそ男子あこがれの筆頭株。おまけに可愛い可愛い「Kさんの」という形容がつく。Kさんの純白パンティー。最高である。捨てる神あれば拾う神あり。つまらない朝礼を耐え忍んでいた最中の思わぬ幸福。僕は興奮していた。
 次の週、その次の週の朝礼のときも何気ないふりをしながら後ろを見た。Kさんはいつもパンチラをしていた。全て、見せパンではなく本式のパンティーだった。縞模様のときも白いときも、ベージュの時もあった。これは最高のショーである。くそくだらない朝礼は僕の溢れ出るリビドーを満足せしめんショーへと変貌を遂げていた。僕はムチムチギャルを見た時の亀仙人のように「たまらん、たまらんですなあ」とニキビをプチプチつぶしながらKさんのパンチラを楽しんでいた。
 とある週であった。その週の朝礼もKさんのパンチラに心躍らせていた。膿んだニキビの汁は赤く僕の頬をそめ、膿み汁が頬を垂れあごの先にまで達していた。「いよっ! 今日は何色かなあ」と段々ずうずうしくなった僕はもはや堂々と、後ろを見た。
 しかしおかしい。Kさんときたら今日は絶妙にスカートを伏せさせ何も見えないではないか。そんなあ、唯一の楽しみが。しかしあれほど毎週堂々と見せていたKさんが今日は一体どういう了見だと下からなめるようにKさんの顔へと視線を移した時だった。
 Kさんは汚物を見ていた。いや、正確には汚物を見る目で僕を見ていた。Kさんはスカートをずりずりとさらに下へ下へと操り、パンツを隠している。隠しながら気持ち悪そうな目をし、僕を睨んでいた。
 それから大分ときがたった。
 中学生だった僕はいまやすっかり大人になっていた。日々の仕事に追われ、取引先の無理な仕様変更に憤り、それでも自分のパフォーマンスを最大限に発揮して仕事をこなしていた。結婚もした。しかしそのときのKさんの目。パンチラとセットで時折脳裏にフラッシュバックしては僕を苛んでいた。フラッシュバックの時間は時を経るにつれ段々と長くなって行き、このままではこの白昼夢に僕の生活の時間の大半がシフトしていきそうな勢いである。
 このフラッシュバックを沈めるためにKさんと会いたかった。会って、謝りたかった。バカ正直に堂々と「パンチラを見てすみませんでした」と誠実にいくか。いっそのこと一緒に飲んだりして、場が和んだ拍子に軽いノリで告白するか。「いやあ、あんときはKさんのパンチラだけが朝礼の楽しみだったんだよねー」だなんてノリで。Kさんが「やだーもうY平君サイテー!」などと言い言い場は盛り上がるだろう。「Y平はいくつになっても変態だなあ!」だなんてお調子者が囃し立てる。そう、あれは過去の事だ。当時は気持ち悪くても今は違う。過去のことなんて今は笑って流してくれるだろう。ああ、Kさんと飲みたい。脳裏にはまた忌まわしき純白のパンティーがよぎっていた。ああああ、Kさん、助けてくれ。会いたいです。会ってお話をさせてください。
 
 そんなフラッシュバックに苛まれる毎日の中、中学の同級生と飲む機会があった。中学のしょうもない昔話を肴に話をしながら、同級生はなにかの拍子にこう切り出した。
「そういえばさ、この前同窓会があったよ」
「ええ、いいなあ。誰が来てた」
「○○とか、△△とかね」
「うわー懐かしいな。△△とかなにしてんだろうなー」
「なんか離婚して大変らしいよ。子供もいるとかで。まあでもあれだ。ああいう集まりを開いてくれる人はすごいね。今どこにいるかも分からないのに、わざわざご苦労様って思うよ」
「ちなみに誰が主催者だったの?」
「ああ、Kさんだよ。そういえばお前来てなかったな」
 僕の目の前には純白のパンティーがあった。そしてそのパンティーの奥に、Kさんの汚物を見る目が光っていた。僕は頬をかいた。頬にはなにもなく、ただただニキビの跡のみがうっすらと定着していた。