常に仕事で怒っているのだが僕だけ?

 最近怒りっぽくなった。プライベートではなく仕事で。平素からほとんど何を言われても怒らない僕だが、なぜか仕事のことになると常に怒っている気がする。常に会社でネットサーフィンばっかする先輩をディスってる気がする。できない先輩を見下し、できる俺を必死になってアッピールしてる気がする。そう、必死になって。まるでそうでもしないと仕事がなくなってしまうかのように。一体何のために?
 ちょっと前。至極技術のない先輩にリーダー面されて怒っていた時期がある。その先輩は、技術的に貧弱というか技術を知ろうとしない類の人だったので細かいことはまるで分からない。いつできるの? しか語彙がなく、常にエクセルに進捗を記載させることを信条とするようなしょうもない先輩だった。はっきり言って仕事の邪魔なのでめちゃめちゃ見下していたのだが、先日小規模な組織改革が行われついにその先輩とチームを別れることとなった。グッバイ、エクセル進捗。しかも後任となったリーダーは技術任せろ、お客さんに対しては口がうまく交渉上手の憧れの先輩だった。これは良いことになった。とても仕事がしやすくなったぞと小躍りしていた。
 そして最近。気分良く仕事している僕がいると思いきや、なぜか相変わらず怒りながら仕事をしていた。常にツイッターには会社の愚痴を書き、それっぽい仕事論というかその水準にも達しないしょうもない戯言を垂れ流していた。新体制となったチームの中で、やはり僕は怒っていた。僕が怒っていたのはネットサーフィンをする先輩ではなく、意外にも憧れだった先輩に対してイライラを募らせていた。交渉上手だと思っていた先輩は、実はお客様に調子が良いだけで楽観的というかリスクを軽視する無鉄砲な人に見えた。難しいことを、え? 簡単でしょ? 的なことを言いつつグイグイ無理なスケジュールを組む人に見えた。だもんだから、少し先輩が変なことを言おうものなら躍起になって冷たく返す僕がいた。
 そんな自分がすごく嫌な奴に思えた。その憧れの先輩が実際にどうなのかはもはや問題ではなかった。怖くなった。何が怖いかというと、もしかして僕はどんな人と仕事をしても怒っているのではないかと思ったからだ。端から見ても憧れの先輩は仕事ができる部類の人に見えたし、実際お客さんからの評判は良く、売り上げに貢献するやり手の先輩だった。多少無理を言うのはもちろん意地悪ではなく売り上げのためだし、頭では分かっていた。頭で分かっているにもかかわらず、怒っている。そんな人にさえ不満を抱いているのでは、もう誰と相対しても怒るのではないかと。思えば僕は自分の出来なさを棚に上げ、減点方式で人を評することばかりやっているような気がする(しかも裏で!)。ツイッターで崇高な理想を掲げ、泥をかぶりつつ上に下に無理を言う先輩を小馬鹿にしているよくいる社会人6年目的な奴だった。そんなに常に人の粗探しをして怒っていては、なるものもならないし、自分の狭量ぶりを周りに吹聴しているようなものではないか。
 そんなことを妻に語ると、「そういうことは誰にでもある。私なんかタバコ臭い新人が憎くて仕方ない」と励まされた。みんなそうなのかな。些細なことで怒っているのかな。
 あんまり怒らないで仕事をしたいものです。

どんうぉり胎教

 最近お腹の子に絵本を読むのが楽しい。我が家にはまだ「かみさまからのおくりもの」の一冊しかないためこれをしつこく読んでいるのだが、ボコボコと胎動しててノリがよい。傍で茶太郎もじっと聞き耳を立てている。可愛らしい。とても幸せな時間が流れている。最近胎教というものを真剣に考えるようになった。色々聞かせてあげて面白い子に育ってもらいたい。
 ので、オノ・ヨーコの素晴らしい名曲を聞かせたところ、妻からなんてものを聴かせるんだという目で睨まれた。どんうぉりどんうぉりどんうぉり。
 

昼から二日酔い

 ひどい1日だった。朝から昨日払い忘れたグラウンド代を払いにもみじ台へ。いや、徒歩で行くんだよ。ひどいよ。車廃車になっちゃったから車ないんだよ。歩いてもみじ台とか激烈に交通の便悪いよ。地下鉄で乗り継いでバスに乗ってさらに徒歩だよ。辛いよ。なのでピクニックじゃボケということで朝からストロングゼロ買って飲んでウキウキで行ってたら昼過ぎに死んだ。今もげろげろです。

ベッキーをめぐる

 金スマを見た。ベッキーが復帰するというから普段見ない金スマを。何か田植えとかやっててマジでクソつまらなくて、でも時々ベッキーが出てくるよ的な演出をしてて、テレビはうまいなあと思いながら見てた。お腹の子も気になるのかドコドコ動き回ってて、やっぱ女の子、ゴシップ好きねーなどと言いながらゴシップ見てたよお父さん。
 んでベッキーさん、中居くんとの対談的なのをやって、すごい突っ込んだこと話してて面白かった。ツイッターの反応はどうかしらと思い色々見てたら概ね「ベッキー好きー。川谷死ね」派、「両方死ね」派、ごく少数だが「川谷は音楽やってる人だからファンに謝れば別に謝らなくてもね」派、そして「興味ない派」、「そんなことより舛添やれマスゴミ」派、と勢力が分かれている模様。と、ここで湧いて出てくるのはどこの派閥にも属さない孤高の思考を持ちたいという願望。多数派を小馬鹿にして真理めいたものを口ずさみドヤ顔したいツイ廃の俺。しかしウェイト、それって新たな派閥じゃない? そういう派閥として俺もまた括られるのではないか? 括られたくない。俺は孤高でいたい。でもよく考えろ。そうしてくくって悦に浸る側も「括って悦に浸る側」という派閥に属しているのだ。さらに「括る」派閥を括る派が現れる。あわせ鏡。平行線。永遠に終わらないベッキー談義。面白いよねえ。あ、今、「どうでもいいけどただ面白いねえと感心する」派閥にいます。おい、ほら。括れよそこのお前。お前が括ると同時にお前もまた括られているのだ。せいぜい孤高を気取るがいい。ボコボコ。妻のお腹の子が騒ぐ。そんなことより? 舛添が? 社会派な胎児だねえ君は。

UI操作ばかりあるIDEはゴミクズ。あと胎教に絵本など

 今日も今日とてGPIO制御。もう一生分のGPIOという単語を発した気がする。目にするものはみんなGPIOというプレフィクスが付いているし、口にするのもGPIOのことばかり。恋人気分かな?
 が、今日はビルドトラブルで今まで作ってきたビルド環境がパーになった。いや、普通のビルド環境なら戻せるんだけれども、今回のプロジェクトで使ってるIDEが俺様IDEすぎてもうどこが何やら分からないのです。全部UIで色々操作するの。UI操作ならやりやすいのではと思うじゃない? ところがどっこい、例えばdlopen使いたいと思うじゃん。すると普通のC++だったらMakefileに-ldlって書けばいいねってすぐ分かるじゃん? でもそうじゃないの。基本Makefile書かせてくれないの。俺様IDEはなぜかライブラリの位置を絶対パスで要求してきて、やむなくビルド環境を全Grepして探すの、ライブラリの場所。んで俺様書式だから一括でコピーとかできなくて全部左クリックで色々選んでパスを指定してってヤンなきゃいけないの。ゴミ。ゴミめんどくさい。バカじゃないのこのIDE作った人。そんなわけでUI操作が主で何がどう変わったか後から見るとちんぷんかんぷん。Makefileのdiff取ればいいじゃないのと言うけれどもMakefileとかないから。ホント頭おかしいから。Eclipseが可愛く見えてくるIDEだから。
 そんなこんなで何か色々やってたら夕方にはビルド環境が完全に壊れてドライバ以外のすべてのプロセスが起動しないという終わった状態になったよ。今朝の状態に戻したつもりになってもIDEがわけわからんから何がおかしいのか全然わからないよ。ホントPC殴ったよ。とりあえず元に戻したけど、今日の分のプログラムがまるまるなくなったよね。信じられないことに別プロジェクトで保存したらもうそのプロジェクトでしか使えないからね。ソースはあるけど色々細かいコンパイルオプションとかリンクとかは全部やり直しだよね。UI操作だからね。コピペでできないからね。ホントぶち殺すぞこのIDE。
 帰宅。くさくさしていたので晩酌2缶。妻の料理は相変わらずうまかった。酔っ払いながら子供の胎教ってんで、「神様からの贈り物」という絵本をお腹に向かって読んでやった。赤ちゃんそれぞれに個性があるからみんなその個性を大事にしていこうねって本。良い本。妻の職場の人からもらったやつ。作者曰く、のんびりだった我が子を叱ることしかできなかった、でもそんなのんびりなところも個性で、そこを親が潰すなんてとんでもないことなんだ的な。まあ良いこと書いてあんの。丁寧に読んだね。んでもお腹、ピクリとも動かず。多分寝てる。親の心子知らず。でも子供ってそんなもんだよねー! うさぎなんかもっとひどいからね。茶太郎のワガママでだいぶ慣れてるから僕たち。