081031

 今日は起きたら7時40分になっていたので、朝からピンチ過ぎた。起き抜けに、やべえ! っつて大声出して、歯磨きしたのち、パジャマとして着てたロンTとジャージにマフラーだけ巻いて外に飛び出したら、ムチャクチャ寒い。白い息が出る。まだ10月ぞ? なして……と考えるまもなくケッタに乗り、さみいさみい独り言言いながら全速でこぐ。昨夜あの巨乳にほいほいついて行かなければ、早く寝れて間に合ったかもしれないのにー……! と思うと、憎憎しい気持ちになったけど、今大事なのは7時53分の電車に乗ることであって、そんなことは考えてる暇もない。ただ無心でこいだ。否、寒いとだけ思いながらこいだ。駅着いたら8時5分。余裕の遅刻だ。打ち合わせに遅刻。気まずかった。
 煙草談義。昨日の夜、Yちゃんと電話してたら煙草のことで気まずくなった。看護士であるYちゃんは、僕が煙草を吸い始めたとカミングアウトすると、あの手この手で僕に煙草の百害を説いた。末期肺がん患者が、いかに残酷な死に方をするかみたいなのをトクトクと語り、あげくの果てには将来僕が肺がんになっても世話をしてやんないから、患者の家族が一番大変なんだからね、という看護放棄宣言までなされた。
 ああ、僕にはもったいない良妻になる予感、とか内心シミジミしながらも、僕はそんときも煙草をスパスパ。例の一酸化炭素中毒じみた、もうろうとした頭で「煙草吸うのなんてファッションだよファッション」とかパープリンな中学生みたいな返しをした。したら気まずくなり。今日に至った。
 あんまり気まずいのもヤなので、昼ゴロにメール。「煙草やめるからおこんないでん」とか、クマの絵文字を大量に使ってぶりっ子メール送信。したら許してもらえたので、よかったーと思い、また煙草を吸った。あ。
 正直、煙草とクスリにはまる人種に理解を示せない人生を歩んできた。副流煙を忌み嫌い、嫌煙家を自称して気取り、煙草税あがってワロスという感じの人生だった。それがどうだ。今ではおぼろげながら、その種の人たちの気持ちが分かる。他人には薦めない、けどやめれない。という悲愴感。この悲劇を、煙草吸うY平馬鹿ととらえるか、いい経験してんなー将来肺ガン患者になるだろうけど。と、とらえるか。僕はやはり後者のとらえ方をしたい。
 そういえば、夜。家の門扉の前で煙草を吸ってたら、その光景を父親に目撃された。父親に見られた瞬間、僕は「やべ」っつって、担任に煙草を見つかった高校生みたいな心境になったし、父親は父親で「うそだろーーーー」っつって、わが子がついに不良に、みたいな顔してた。
 でもよく考えたら僕はヤンキー中高生でもなく、23歳だったという事実に気づいて、お互い「あ、別にいいんだった」みたいな感じの顔になり、なんかおかしかった。
 小説の話。今日は原稿用紙3枚分終わらせた。昨日さぼった影響か、勘を取り戻すのに少し時間がかかったが、まあ順調。稚拙さはぬぐえないけど。
 寝るカー。

081030

 恩田陸の「光の帝国」、森絵都の「つきのふね」、さくらももこの「ももこの21世紀日記 vol4」を読み直したり新たに読んだりした。
 光の帝国は、ライトノベルをちょっと重々しいノリで書いたって感じのアレだった。いや、よかったんだけど、どうも僕は何か特殊能力があって……ていう体の小説は脳が「ライトノベル」って勝手に判断しちゃって、正当な評価ができなくなる。その辺は、上遠野浩平にまかせておけばいいんじゃないかな? とかいう偏見がすぐ出る(別に上遠野浩平をバカにしてるわけじゃなく、むしろわりと尊敬してる)。でも、特殊能力をもった常野の人々の、いやに民俗チックな空気はやっぱり恩田さんならではなんだろうな。と思ったり。やはり恩田さんすごし。
 つきのふねはマイルドにスルーして、さくらももこはやはりすごい。くだらない日常を短文を添えて絵日記にした本で、内容が薄く、これでお金を取られるとは……! という感じだったが、たくさん笑わされたので文句も引っ込む。
 さくらももこの書く文は、小学生の日記と大差がない。いや、もちろんある程度、筋が通った文だし、少なくとも、内容は分かるんだけど、根底の部分で小学生の作文属性をはらんでいるように思う。それは、決してけなし言葉じゃない。小学生の日記を一度読んでみれば分かるけど、あの年代が書く文ってものすごくシュールな場合が多いんだよ。僕らの常識の範囲外の着眼点をするのが奴らの日記の特徴で、随所に「そんなこと言っちゃうの!?」とか、「それをわざわざ報告したのはなんで!?」みたいな意味の分からない面白さがある。さくらももこの書く文は、それを洗練して、読みやすくしたような感じを受ける。だからシュールな世界観が出る。
 そういえば、作家が書くエッセイっつーのは、総じてつまらない。女流作家にエッセイを書かせれば、その豊かな感受性で綴る、独特の世界観っつーの? てのを大々的に帯とかにアピールして売りに出されるけども、フタを開けてみれば、なんてこたない日常を、かっこつけて書いただけじゃんボケっつーエッセイになる。それか姉御肌の、いかにもパーな女子大生あたりが崇拝しそうな強い女のエッセイっつーのか。作者の感性を感じるためにそれを読むなら、まあ最適だけども、僕個人はエッセイにそんなものを求めてなくて、んならそいつの小説読んだほうがよっぽど感性を感じられるんじゃね? とか思う。
 男性作家のエッセイなんてのは論外だ。小説はあんなに面白いのに、エッセイはこんなにつまらんか。というパターンが多くがっかりする。お寒いオヤジギャグを延々と聴かされてるような感じ。筒井康隆とかが当てはまるか。筒井さんあんなに面白いのに。小説は。そのギャップがある意味面白いが。あ、でも森博嗣はかろうじて面白い。といっても森博嗣はクソ真面目に書いてるから面白いのかもしれない。大御所の作家ほど、わざと茶化そうとすると大体うんこみたいなことになる。そういった点では、まだブログのほうが面白いこと書く人がいると思う。ホームページだともっと面白い人もいる。
 さくらももこのエッセイだけ今んとこ楽しんで読める。誰か楽しいエッセイ知ってる人、情報お願いします。
 誰も望んじゃいねー、読書レビューが終わったところで研究室の話だけども、サンプルを作成するたびに、雪だるま式にやることが増えるのが大変だ。例えばAというサンプルを作る。Aのサンプルを毎週測定する。次にBというサンプルを作る。毎週AとBの測定を行う。……というように、サンプルが増える度に測定の回数が増えていくので、えらいことになる。心境としては闇金にお金かりちゃったような感じか。今では雪だるまは膨らむに膨らんで、毎週20個ぐらいのサンプルの測定を行わなければならず、笑える。来週は4個ぐらいさらに増える予定だ。アホか。
 測定してまとめるまで、1サンプルにつき30分ぐらいかかる。ので、計算すると……みたいな。しかもそのほとんどが幸か不幸か、単純作業なので、なんつーか空しいのな。いや、クリエイティブなのが10時間続いたらそれはそれで破綻だけど、ルーティンが10時間ってのは精神に来る作業だよ。バイトやといてー。時給200円ぐらいで。あ、来週から12時間になるのか。いつかできなくなるっていう限界点がきそうな……
 そんなこんなで、時間の使い方をちょっと間違えると、研究室から帰れなくなるので、今日は必死だった。明日は打ち合わせがある。わき目もふらずにずっとパソコンに向かい合って、打ち合わせ資料を作る。そのおかげで何とか9時ぐらいに終わりそうな公算がついた。ふー、やれやれと。
 すると、バイト先のコンビニの女の子(巨乳)から、「カステラあげるんで、店まで来てください」とのメール。音速で「やったー10時には行きます」との胸を……いや、旨を返し(この表現はつまんねー男性エッセイストとかが使いそう)、ウキウキ気分。したらまた女の子から返信が来て、「ついでにラストまで入ってくださいね☆」とのこと。は、はめられた……
 というわけで、せっかく打ち合わせ資料を早く作りあげたというのに、帰宅したのはバイトの終わった深夜で、クソ疲れたわ。なので、小説は今日は休み。明日は早朝起きなので、速攻寝た。