081112

 朝起きてよっと体を起こすと緑色の鼻水がうにょーんとつららのように伸びてきて布団に直撃したものだから頭が痛くなった。緑の長い鼻水が暗示する言葉、体調の悪化。頭でそう理解するととたんに体も重くなってきて、ほんと、病は気からだよなーとか思う。
 だるい頭を抱えながら、朝ごはんのバナナを前に、ぬぼーっと体温を測る。デジタル体温計。ぴぴぴ。デジタル様が指し示す温度は35.8度。なんぞ、平熱ジャン、オレ頑張れがんばれ。と気持ちを病モードから健常モードに切り替えようとするが、体のほうはいっこうにダルく。やはり病は気からなんてウソかもしれないなと二転三転。
 あー、だるい。おまけにチンコが痒い。そういえば、昨日風呂に入ってねーわ。満員電車にぎゅうぎゅう押し込められながら、漠然と思い出す。ももひきをはいたまま寝てしまったので、ムレることムレること。きっと今僕の睾丸内は、死んだ精子でいっぱいなんだろーなーとか思う(精子は温度に弱い)。頭が回らない。
 すると、ぼーっとする脳内とは対照的に、腹がひどく暴れだした。満員電車内。名大駅まで、あと20分? ぐうう、ぐううと唸りながら、怪しく満員電車内で我慢する僕。あああああ。漏らしたら、もうそのままぶっ倒れよう。熱出てぶっ倒れて、その拍子にウンコ漏らしたという体にしよう。そうしたら誰も冷ややかな目では見ないはずググググググ。
 敗戦処理を考え始めたら試合終了である。もはや我慢して大学まで辿りつくという、勝利の可能性は1パーセントも残っていなかったので、やむなく新栄町で下車、走る。すると、トイレが改札の奥ではなく、ホーム内にあった。ナイス新栄町。二度目の大学入試のとき。同じ状況で伏見駅に降りたときは、トイレの存在すらなく、名古屋の地下鉄はクソと思っていた僕だったが、こんな地味なところに優等生はいた。新栄町という優等生が。どうでもいい。急いで駅のきったねえトイレに駆け込む。
 トイレ内でなんとか試合を引き分けに持ち込んだ僕は、ふっと安心。やれやれとペーパーストックに手を伸ばすが紙がない。ええええ。そんな使い古されたオチいらないよー。と涙目。ここで間違っても、「ブログのネタになります☆」とか言う大馬鹿発言をフォント32ぐらいにしてでかでかと書いてはいけない。ネタになるとか馬鹿か。残るのはむかつきのみである。
 なんとか代用品を探すべく、自分の持ち物を脳内でイメージしてみる。風邪でボーっとしていたはずなのに、いやに冷静だったのが不思議だった。持ち物は森博嗣のエッセイと、筆箱。あと千円札。それだけ。
 千円札でしりを拭くのはいかにもブルジョワジーで、風刺画になりそうな趣すらある。「紙がなくて、お尻が拭けないワ」「ほら、きれいになったろう」みたいな。それはそれで一興だったのだが、汚いのが問題だ。尻穴から、なんらかの悪い菌が入らないとも限らない。
 すると残りは森博嗣のエッセイのみとなる。
 唐突だが、僕は森博嗣が大嫌いだ。スかした態度がメチャメチャにむかつく。なのに、エッセイ自体は面白く、読むのが止まらない。さっきだって、腹が痛いにも関わらずエッセイは読んでいた。作家自体は嫌いだが、作品は好き。なんとも不思議な感じである。
 しかし森博嗣自体は依然として嫌いなので、なんだか森博嗣の本で尻を拭くことに、かなりの楽しみを感じた。しかも、森博嗣は元・名大助教授とのこと。元・名大助教授の書いた本が、名大のクズ学生によって汚される感覚。僕は興奮でうち震え、ニヤリとする。所詮負け組のくだらないやっかみなのだが、くだらなければくだらないほど僕の心は満たされる気がした。
 「俺のクソをくらえー、ひろしー!」と心の中で叫びながら、既に読んだページをペリッとやぶろうとした刹那、忘れてたように、ペーパーストックの奥から、コロんとロールが転がってきた。なんだ、ひっかっかってたのかよ……心の中で、森博嗣が「ちゃんと確かめればよかったね。残念」と得意顔でのたまった。はい、先生。
 森とウンコとの死闘を終えた僕は、それでもなんとか定時に席につくことができ輪講開始。輪講は自分の担当じゃないときは、どんな講義よりも楽しい。やっぱり研究につながる勉強はサイコーだな。
 が、しかし体調の悪化著しく、昼ごろで研究室を早退し、日記を書いてる。今日はもう一回エッセイなどを書く予定。体調の悪いときほど趣味に生きたくなるんだよ僕は(小説の推敲はやらないが)。

081111

 朝からノドが痰がらみで、かーっぺ、かーっぺって唾吐きたくて仕方のない寝起きだった。煙草ビギナーの僕は、ははあ、これが煙草を吸う人の害悪だな。だからヘビースモーカーのおっさんとかは、やたら路上で痰を吐くわけな。へーなどと、感心した。
 したら午前中。実験をすすめながら、軽く輪講資料の英訳などをやっていたら、痰だけでなく、くしゃみもやたら出るようになった。おまけに鼻は垂れるし、ちょっとだるいしで、あ、これもしかしたら煙草じゃなくて風邪かもしんないと気づく。冷静になって周りを見ると、研究室内でも鼻水をズズズと啜る人が多くなったような気がする。季節の変わり目だからなー。なんかこう、いっせいにみんな風邪になるなんて、野良猫の集団みたいだなと思って少し笑えた。猫のグループも人間のグループも寒くなったら、みんな鼻水で鼻をぬらす。
 午後は、昨日の分の日記を書く。昨日の出来事だと、忘れてる部分が多いので、今度から日記はその日のうちに書こうと決意。今現在11日の日記を12日に書いてるので、つまり今日は2回日記を書かねばならない。
 その後実験終了。今までうまくいかなかった実験だったけど、思い切って条件を変えたらできるようになった。明日からバリバリやるぞ。
 久しぶりに早めに帰れたので、さあ小説でも推敲するかと思ったが、体調が著しく悪くなってきたので辞めた。最近書いてない。全体の80%ぐらいまでは終わってる。あとの20%も、既にどのように修正するかの構想もメモしてあり、あとは書き進めるだけなのだけど、いかんせん書き出すのが難しい。研究で忙しいとか、バイトがうっとおしいとかそういう言い訳もできるが、やろうと思えばできるんだろうなあというあたりに、自分の怠惰さを感じる。鼻水がひどいので、このまま寝る。風呂は朝でいいや。

081110

 今日は憂鬱になりがちな月曜だったのだけれど、前日ぐっすり寝たおかげで気持ちよく起きれた。先生に言われたとおり、9時半前に研究室に行き、ようようどうよ、今日はめちゃめちゃ早く来れたよセンセーとウキウキで研究室入ったら、先生来てない。褒められる行いをしたときほど、上は見てないものよな。とガックリ。と同時に、たまーに早く来たぐらいで、褒めてもらおうとしている僕の感性にも愕然とし、二重にガッカリ。なんだ僕は、不登校児が頑張って学校に来たときのノリになっている。
 当たり前のことを当たり前のこととしてできる人たちを尊敬しつつ、実験、実験、実験。合間に土日分の日記を書いた。
 学校終了。すっかりさみいな……なんて思いながら、名駅で電車に乗り、ゆらゆらとつり革で立ってた。したら、前の座席に、バイト先の女子大生Nさん(昨日の日記のSキャラ)がいたので、びびった。昨日一緒にバイト入ったばかりなのに、こんなひょんなところで会うと、少しキョドる。よおと声をかけ一緒に帰る。
 電車に揺られながら、Nさんの就活の話などをし、就活の先輩としてなんやかや偉そうにアドバイスなどをする。自己分析がどうのとか、セミナーの様子だの、SPIはいつからやったらいいだの、Nさんが聞いてくることに、さもそれっぽく答える自分を客観的に見るにつけ、ああ、僕もつまんねー奴になったもんだなと思う。
 しばらくすると、Nさんが「すいません、マリオカートやっていいっすか?」などと言い出したので、いいよいいよ、じゃあ俺小説読むわということで、Nさんはマリオカート、僕は小説と自分の時間を過ごす。つっても、Nさんが二分に一回ぐらいチョッカイをかけてくるので、おめーマリオカートやれよ! っつってお互い集中を欠く。うーむ、でもなんだか居心地がいい。中途半端な友人と電車で会ったときの気まずさは尋常じゃないけど、こうして気の合う友人と、適当に過ごす帰路はけっこう格別だ。高校以来だなこの感覚。
 一緒の駅で降り、Nさんは車、僕は自転車なので、そこでお別れ。じゃーまたバイトで。お疲れさまでーす。Nさんの揺れる乳を見ながら、「あー乳もみてえな」と純粋に思い、男女間の友情っつっても最終的にはちんぽに帰結すんなあなんて思う。男女間の友情を声高に叫ぶ男たちは、こうしていつもちんぽを理性で抑えながら、「俺たち、一緒のベッドで寝ても、絶対何もない。気の許せる女友達って、大事だよな」とか悦にひたるんだろうか。少なくとも僕は友情だとか愛情とかそういうの別にして、乳がもみたい。最後はちんぽだ。
 家に着く。すると、靴を脱ぎ終わらないうちに母親が玄関に走ってきて、開口一番、「あんたまた変なもん買ったね!」つって、妙な封筒を見せられながら怒鳴られる。なんぞと思ってその封筒を受け取ると、何やらダイレクトメールのよう。昔、変な通販でだまされた経験のある僕は、こういう通販関係のことになると、めちゃめちゃ親に心配される。無論、今ではそんなことはないので、何も買ってねーよ、単なるダイレクトメールだろ。っつって冷静に返すと、母親、心配なので一応確認してくれとのこと。やれやれ。
 封筒を開くと、三枚ほど広告が。「幸せの源泉、あなただけにお届けしました! チベットの三宝!」との煽り文句とともに、ED治療薬の説明と、申し込み書が同封されていた。苦笑しながら、「俺にはあと50年ぐらい必要ないわ」と母親につき返すと、母さん、ED治療の広告をしげしげ見ながら顔を赤くして絶句してる。やっぱり最終的にはちんぽだよな。

081109 【僕はいたって】SとかMとか【まじめです】

[最初に言っておきますが、僕はいたってまじめに書いてます。あとキチンと仕事はしています]
 日曜なのに今日も今日とてコンビニでバイトでしたよん。ふざけるなー。
 でもまあ、まったく気を使わない、入って2年目の女子大生Nさんと一緒だったので、クサクサとした気分も幾分和んだ。最近は、当然のようにして、昼間の忙しい時間帯に独りで店番をやらされていたので、いざ二人で仕事したときの楽さといったら半端なかった。やっぱり二人はいいよーなどと、ホクホク顔で勤務してたんだけど、よく考えたらこれが普通の状態だということに気づき、再びコンビニに対する怒りを燃やす。
 で、暇な時間になる。ここで手持ち無沙汰な空間を、バイト同士でどう埋めあうかという、「インストール」の主人公みたいな葛藤に悩まされる場合が多いんだけど、今日は相手がNさんなので、本当に気を使わない。なんていうか、いきなり「ウンコもれたー」というカミングアウトをしたとしても、「ふーん」で済みそうな雰囲気がある。お互いに、脳みそを一ミリも使わずしゃべっており、ただ思考の流れるままに会話している。「こう言ったら怒るかもしれない」とか、「どう反応したらいいんだろう」とか考えることは一切なく、安心しきった関係が実に心地いい。コンビニ自体は大嫌いだけど、こういう気の許せる友達ができて、本当にここのバイト入ってよかったなあとシミジミする。
 ところでNさんは僕をよく叩く。冗談めいた調子で叩くので、あんまり痛くもないのだが、たまにクリーンヒットするときがあり、そういうときはちょっと痛い。ここで、「変態!」とか思わずに聞いて欲しいのだけれど、僕はそのNさんによる、暴力と冗談すれすれの殴りが嫌いではなく、むしろ大好きであることを告白する。痛いのがきたときに、「あ、ごめんなさいいいーペコリ」となるNさんもたまらない。これは、たぶんに僕の性癖にM気質があるが故で、女性から殴られるのが嫌いではないというところに起因するのだろう。
 しかしよくよく考えてみると、どうもそれは正確ではない。というのも、じゃあ女性なら誰に殴られてもいいかと言うと、そうでもないからだ。得体の知れない女に殴られれば、「なんだこのアマ」と悪態をつく自分が容易に想像できる。
 じゃあ、その得体の知れない女と、Nさんの間で何が違うのかと考えてみる。と、やはりこれは信頼感の違いであると思う。Nさんなら、何の照れや気負いもなく、存分に情けない自分がさらけ出せる。この人なら従ってもいいやフニャア(←ココ重要!)と思えるが故、自分の精神を容易にMモードへと移行させることができるのだろう。Nさんのことを信頼しきって初めて辿り着く境地である。
 逆にNさんは、この情けないモードの23歳にノリノリで殴ったりチョッカイをかけたりする。その表情には楽しさが浮かび、嫌悪感は一切感ぜられない。それどころか、頼んでもないのに隙を見てはM心をくすぐる何かをやってくる。、Nさんは他の人にはそういうことをやらない大人しい人種だというのもポイント。
 で、さらにここが重要なんだけど、ただただ絶対的に僕が、地位的にも、思想的にも一方的に下で、バイトでもやたらめったらこき使われてるのかと言えば、そうではない。4年目の僕と2年目のNさんという、先輩後輩の関係はきっちり守られており、時折接客の甘すぎるNさんに声を荒げることもあるぐらいだ(ていうか二年目なんだから、そろそろキチンとしてもいいと思う)。僕がMだから、向こうがSだからと言って、仕事上でもそういう関係にあるわけではない。そこはまったくの別次元だ。
 この一連の流れを見て、「これは恋愛なのでは?」という結論に至るほど僕はおめでたくない。断じてそれはない。向こうには何年も付き合った彼氏がいるし、僕は僕で恐妻になりそうなYちゃんが待っている。これは言葉では説明できないし、あえて言うなら空気で分かる。そんなんじゃない。ただ、互いを飾らずさらけ出せる何かがある。そこにSMの概念が絡んできたと僕は思った。
 江川達也が、「東京大学物語」で、地位とか名誉とか男とか女とかそういう飾り物を捨て、抑圧から心を解放することでSとMの関係が生まれるとかそんなニュアンスのことを描いていた。そら、信頼しきった相手じゃなきゃ、M側の人が醜いほど従順にはなれないし、ひいてはそのMを、Mモードにさせる何かがS側になければSMなんていう関係が成立するはずもない。
 そういえば、江川達也は作中でキャラクターに、「本当のSは、Mのしてもらいたいことを考えて、Mが気持ちよくなるように奉仕してあげることだ。そういった意味では本当の奴隷はMのほうではなく、Sのほうなのだよ」的な台詞を言わせてて、これはなるほどなと思った。
 昨今、SとかMとか軽いノリで若い男女で叫ばれてるのを見て、なんとなく嫌悪感を感じてたのだけど、こういうところに嫌悪の元があったのかもしれない。「俺はドS。だから彼女に冷たい」とか、「私はMだわー。いっつも暴力ふるわれるし」とか、こういう軽いSMの解釈を、声高に居酒屋で叫びあってる男女を見るにつけ、「相手のことを考えてこそのSMだろうが!」と憤りを覚える。ソフトなら必ず、たとえ、それが過激なハードSMであったとしても、Mのやってもらいたいことをちゃんと考えてSは実行に移している。
 ここまで考えると、勘違いS男、S女の扱いはめんどくさい。相手のことを考えず、ただひどいことをする傾向を、Sか何かだと思っている。この種の人を見ると、僕はMだけど、無性に瓶ビールを投げつけたい衝動に駆られるのも、あながち頷けるのじゃないかな(Mの間違った使用例)。
 でも、SMについてインターネットで調べてたら、「刃物や紐、自作の拷問器具を使って、自分を極限状態に追い込み、そこでオナニーをして快楽を得る」という形の、相手の介在しないMも存在して、僕はお手上げでした。さらに言えば、それで死亡事故なども起こっているらしく、他殺との区別がつかないとか。そういうとき、他殺かプレイかを分ける証拠は、「射精痕の有無」らしいっす。アホか。
 結局、SMを一口に語るのは無理ということが分かった。だから居酒屋で軽くSとかMとか語るなよって話。それをNさんにちょっかいをかけられながら思ったんだふにゃあすいませんすいませんすいませああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

081108

 平日研究室で頑張って、さあ土曜のお休みやでえと言っても、容赦なくバイトが昼から夜まで入ってて休まるどころかむしろ疲れるわ、という感じなんすけど、がんばってコンビニバイトやってきた。
 平素、二人のバイトでまわすはずのコンビニも、人手不足のため最近は一人で回すことが多くなった。暇暇言ってるコンビニだけども、深夜でもないのに一人でやるのは本当に苦痛で、辞めたいこと社会人2年目の如しなんだけども、昼飯代と定期代のために頑張る。
 頑張ると言っても、適当に店のルーティンワークをこなしたあとは、てんでやることがなくなるので逆にそれが困る。僕の仕事内容は、暇つぶしを探すことに終始する。で、暇つぶしと言えば人間観察というわけで、今日は色んなお客さんを眺めながら、メモ帳にその人の特徴などをメモしていくという文章スケッチが主な仕事だった。
 特に今回収穫だったのが、女子高生のスケッチ。制服やリボンの色、髪質やらシャンプーの匂い、ソックスの長さがどのくらいか、または色は? 靴の形態は? 太もものはじけ具合とか肌質はどうだとか、細かに文章にしてノートに書き溜めることができた。ここで、変態ーとかそういう当然の反応はいらない。というか、そもそも僕は小説の能力向上のためにこの文章スケッチを行っているのであって、これはカッコいい美大生とかが、女性のヌードデッサンをするのと同じく、なんらそこにエロスは介在しないので、変態だなんていわれる筋合いは毛頭ない。
 まあいい。で、観察してて思ったんだけど、女子高生ってエロいのな。なんつーか顔面がギャースな感じになってても、制服を着た体の、フォルムと配色がエロい。未熟と大人の境界線上にいるっていう、あいまいな感じが実にグッド。あれで、少し大人びて18歳を過ぎてしまったりすると途端に女子高生というよりコスプレ女子「校」生という感じになってしまうし、逆に15歳以下のガチロリになってしまえば、気後れするぐらいの犯罪臭によって、途端に駄目になる。
 いきすぎると駄目、早すぎても駄目。こうして女子高生として、一番輝く一瞬について考えるにつけ、これは桜の見ごろなんかと通ずるものがあるなあと感じる。桜も、「もう少し咲くと満開だなー」と思っても、ストーップっていう瞬間は一瞬で過ぎてしまい、あとは散っていくばかりだという(「あたしンち3巻」)。これってまさに僕の女子高生観と一致してて、女子高生にせよ桜にせよ、輝く一瞬ていうのは、そんぐらい短く、あいまいで、微妙なバランスの上に成り立ってるんだよな。
 そういった話とからめると、「女子高生」というワードにもなんとなく日本の哀愁と美意識を感じるじゃない? だからもし娘などに名前をつける機会があったら、「女子高生」を象徴する漢字を一字だけ入れ込みたいなあと思った。はかなくてもいいから、一瞬の輝きを放って欲しい。そして願わくば、はかないが故の美しさも備えて欲しい。そういう親心を汲んで、「桜」という漢字に次ぐ、最高の一字を! と、思ったのはいいんだけど、女子高生を文字で表すってどんなんだろう? と思案した結果、ブルセラという単語が第一に浮かんできたので、やっぱり僕は変態ということでいいです。